公文書リスト

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富士講に言及する公文書リスト

凡例

  • このリストは富士講に関する公文書類を集めたページである。
  • 「取締令及び請書」のうち、『江戸町触集成』の概要欄にある数字がその通し番号で、「富士講」の欄に○のあるものが富士講と指名がある史料である。富士講の取締には、富士信仰ではないものの下層町民からなる「講仲間」などの愚連隊の行動と関係があると考えており、彼らへの取締令も収めた。ただし、富士講の取締令ほどには徹底して探していない。「通行関係」とあるものは、必ずしも富士講とは関係ないが、富士参詣の際にトラブルとなっているものであり、そのようなものも収めた。『江戸町触集成』以外の史料からはローカルな請書の対応を見ることができる。『独見秘書』からのもので空欄のものは上と同文である。

リスト本文

年号 西暦 典拠 概要 「富士講」
寛保2年9月 1742 『江戸町触集成』5(塙書房、1996)、p.128f 6632,6633、富士門弟(富士講ではない?)  
安永4年5月 1775 『江戸町触集成』7(塙書房、1997)、p.344f 8448、講仲間の取締  
天明8年5月 1788 『江戸町触集成』8(塙書房、1997)、p.331 9335、安永四年の再掲  
寛政1年3月 1789 『江戸町触集成』8(塙書房、1997)、p.391 9441、開帳のがさつ行為禁止  
寛政6年4月 1794 『江戸町触集成』9(塙書房、1998)、p.389 10079、騒ぐ一団の取締(大山講?)  
寛政7年1月 1795 『江戸町触集成』10(塙書房、1998)、p.9f 10179、富士講として初の取締
寛政7年2月 1795 『江戸町触集成』10(塙書房、1998)、p.12 10182、富士講及び類似する集団の取締
寛政9年4月 1797 『江戸町触集成』10(塙書房、1996)、p.138f 10410、梵天を掲げた一団の始末(達)  
享和2年9月 1802 『江戸町触集成』11(塙書房、1999)、p.48f 11111,11112、寛政七年の再掲
享和2年9月 1802 『富士講唱文獨見秘書』(『信仰叢書』所収、国書刊行会、1915)、p.483f  
享和2年9月 1802 『埼玉県史』資料編17(埼玉県、1985)、p.297f 武州児玉郡・秩父郡・榛沢郡での富士講取締令  
享和2年12月 1802 『富士講唱文獨見秘書』(『信仰叢書』所収、国書刊行会、1915)、p.483f 享和2年9月の取締令への吉田御師の請書  
文化2年7月 1805 『江戸町触集成』11(塙書房、1999)、p.151f 11329、通行関係、富士から神奈川まで船禁止  
文化4年9月 1807 『富士講唱文獨見秘書』(『信仰叢書』所収、国書刊行会、1915)、p.483f 武州上藤井村の新兵衛と文七が富士信仰のために手鎖 
文化10年3月 1813 『江戸町触集成』11(塙書房、1999)、p.338f 11617、開帳のがさつ行為禁止  
文化11年4月 1814 『江戸町触集成』11(塙書房、1999)、p.356f 11645、合法性の主張と身分の拡大
文化11年4月 1814 『富士講唱文獨見秘書』(『信仰叢書』所収、国書刊行会、1915)、p.483f    
文化12年5月 1815 『江戸町触集成』11(塙書房、1999)、p.373f 11671、山伏に粉敷俗人の取締  
文政4年11月 1821 『江戸町触集成』12(塙書房、1999)、p.85ff 12029、念仏講と並んで葬送で騒ぐ
文政5年2月 1822 『江戸町触集成』12(塙書房、1999)、p.93ff 12042、葬送で騒ぐ・取調厳しくの指示
文政6月5月 1823 『江戸町触集成』12(塙書房、1999)、p.146f 12166、通行関係、富士参詣の甲州道中でのがさつ行為禁止  
文政6年5月 1823 『富士講唱文獨見秘書』(『信仰叢書』所収、国書刊行会、1915)、p.483f    
天保13年2月 1842 『江戸町触集成』14(塙書房、2000)、p.20f 13478、開帳並びに葬送で騒ぐ
天保13年2月 1842 『江戸町触集成』14(塙書房、2000)、p.28 13490、開帳のがさつ行為禁止  
天保13年2月 1842 『江戸町触集成』14(塙書房、2000)、p.29f 13494、開帳並びに葬送で騒ぐ
天保13年5月 1842 『江戸町触集成』14(塙書房、2000)、p.104 13605、山伏に粉敷俗人の取締  
天保13年9月 1842 『江戸町触集成』14(塙書房、2000)、p.194f 13719、通行関係、富士から神奈川まで船禁止  
弘化4年5月 1847 『江戸町触集成』15(塙書房、2001)、p.266 14544、夜に練り歩き町家で祈祷する
嘉永2年9月 1849 『江戸町触集成』15(塙書房、2001)、p.445ff 14942、不二道の訴訟とその却下
嘉永2年9月 1849 『富士吉田市史』史料編第5巻近世III(富士吉田市、1997)、p.1109f 不二道の立場での請書(小沢家所蔵写本)  
嘉永2年9月 1849 『埼玉県史』資料編17(埼玉県、1985)、p.402f 武州粕壁宿での富士講取締令請書  
万延2年1月 1861 『江戸町触集成』18(塙書房、2002)、p.10 16519、通行関係、富士から神奈川まで船禁止  
市中取締類集
年号 西暦 典拠 タイトル
天保12年6月 1841 『市中取締類集』1(『大日本近世史料』所収、東京大学出版会、1959) 市中取締類集、市中取締之部、御仁恵并御取締可相成儀及承候趣臨時廻申上書([町人講中等ノ集会遊興])
天保13年1月 1842 『市中取締類集』1(『大日本近世史料』所収、東京大学出版会、1959) 市中取締類集、市中風俗取締之儀ニ付廻方銘〻存寄之趣申上書([富士講題目講木魚講])
天保12年7月 1841 『市中取締類集』1(『大日本近世史料』所収、東京大学出版会、1959) 市中取締類集、市中取締之部、([隠密廻上申書])
弘化4年2月 1847 『市中取締類集』2(『大日本近世史料』所収、東京大学出版会、1960) 市中取締類集、市中取締之部、市中風聞之趣取調申上(神社講中)
嘉永1年10月 1848 『市中取締類集』16(『大日本近世史料』所収、東京大学出版会、1984) 市中取締類集、出家社人之部、本多中務大輔殿より問合富士講之儀ニ付寛政度以来町触等調
『東京市史稿』
年号 西暦 典拠 概要
寛政7年1月 1795 『東京市史稿』産業篇40(東京都、1996)、p.193ff 富士講を禁ずる町触
寛政9年10月 1797 『東京市史稿』産業篇41(東京都、1997)、p.624ff 当山派修験が富士講を禁ずるよう出願する
『京都御役所向大概覚書』
年号 西暦 典拠 タイトル
享保2-3年 1717-1718 『京都御役所向大概覚書』上(『清文堂史料叢書』第5刊、清文堂出版、1973)、p.118f 「山伏冨士垢離之事」
明治以後の富士講取締令
年号 西暦 典拠 概要
明治5年11月 1872 『新編高崎市史』資料編9近代現代1(高崎市、1995)、p.323f 「祈禱・御岳講・富士講の禁止」
明治6年3月 1873 『東京府史料』30政治部社寺1(明治元‐11年)、(国立公文書館所蔵)、11丁ウf 明治六年三月廿二日番外第九号本府達シ
明治13年2月 1880 『君津市史』資料集4近代2、(千葉県君津市、1994)、p.670f 「湯殿山行人・富士講につき諭達」