ページ「三重県の富士信仰行事リスト」と「食行身禄遺物リスト」の間の差分

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==『三重県の民俗芸能』にみる富士信仰リスト==
==食行身禄遺物リスト==
 
===凡例===
===このページの凡例===
* 「食行身禄に関する新出史料」、日本宗教学会第75回学術大会(2016、早稲田大学)のレジュメに用いた表を改訂したもの。
*三重県教育委員会編『三重県の民俗芸能』(三重県教育委員会、1994)の第四章「悉皆調査一覧」(pp.265-318)から、富士信仰に属する民俗芸能の行事を抜き書きしたものである。
*順番は概ね史料内の表記に基づくが、食行の場合、必ずしも実際の製作年代や成立年代を示すものではない。
*文字については原文そのままに転記し、明らかな誤植でも修正していない。
*角行系文字「クウ」は富士信仰アーカイブズ方式(メニューバー「旧コンテンツ」―「受付」参照)の表記に則り「Ё」で代用した。
*最右列は、原文では国や自治体の指定を示す「指定」となっているが、以下の行事にうち何かの指定になっているものは'''明和町の浅間行事が町指定となっているだけ'''だったので、原文のページ数を示す列とした。
*種類は、「三種のお書き物」=著作、教義的な内容を持ち料紙数枚程度で完結するもの=掌編、として区別した。
*原文では最上行(ここでは最左列)に自治体名が表示されていたが、「伝承地」と表示がかぶるので省いた。また「伝承地」の表示は調査が行われた平成5年度当時のものである。
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*南島町方座浦でのp.156浅間祭の「詳細調査」は本書のp.156に収録されている。
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!通番!!class="unsortable" | 史料名([ ]はタイトルを持たないもの)!!年代!!所蔵者!!class="unsortable" | 摘要!!種類
===[原文の]凡例===
*この一覧は、県下の区・自治会の協力を得て実施した予備調査を基に、調査員が市町村教育委員会の協力を得て作成した悉皆調査結果を、まとめたものである。なお、民俗行事のうち芸能的な要素が含まるものについては、戦前以前から行われ、かつ現在行われていることが確認されたものについては、積極的に掲載するものとした。
*掲載は、市町村別・実施時期順(不明のものは最終)とした。
*「民俗芸能等の名称」のうち、★は詳細調査を実施したもの、*は平成五年度現在で廃絶・休止等により実施されていないもの、もしくは実施が確認できなかったもの。
*「実施期日」は、最新のものを掲載するように努めたが、地元の事情により、変更されることがあるので注意されたい。なお、近年実施日が変更されたものについては( )で以前の実施日を表示した。
*「摘要」は、調査員の報告を基に、事務局がまとめたものである。
*「指定」のうち、「国」は重要無形民俗文化財、「国選」は国が選択した記録作成等の措置を講ずべき無形の文化財、「県」は県指定無形民俗文化財、「市」「町」「村」はそれぞれの市町村指定無形民俗文化財を示している。
 
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!民俗芸能等の名称!!伝承地!!伝承組織!!実施期日!!実施機会!!摘要!!頁
|01||御前ゟ御傳ゑの御もんく様かきおき申候||1728.6||個人蔵(東京都ほか)||『一字不説お開身ろく之御世之訳お書置申候』の末尾と考えられる。||class="sortable " | 著作
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|浅間まつり||松阪市上七見町||青年||五月中旬||浅間まつり||竿竹に一二個の提灯を吊り、富士講道中歌を歌いながら川まで行き立てる。夜は宿で踊る。||286
|02||一字不説お開身ろく之御世之訳お書置申候(巻頭題)||1729.10.13||個人蔵(山梨県富士吉田市)||『一字不説お開身ろく之御世之訳お書置申候』完本。||著作
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|浅間まつり*||松阪市下七見附||富士講||(六月末の土日)||浅間まつり||竿竹に提灯を吊り、川まで行き垢離をとる。富士講の歌が伝わるが現在は歌われない。||286
|03||富士行者身禄自筆伝書(題簽)||1729.10.13||富士山本宮浅間大社||『一字不説お開身ろく之御世之訳お書置申候』完本。||著作
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|浅間まつり*||松阪市幸生町||青年||(六月二八日)||浅間まつり||川で垢離をとり、松の木に幣を立てた。ほら貝を吹き、道中歌を歌ったという。||286
|番外1||富士講関係文書1||1730.6.15||神宮文庫||【参考】近代に作成された『一字不説お開身ろく之御世之訳お書置申候』自筆の模写。||著作
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|浅間祭り||松阪市伊勢寺町||自治会||六月三〇日~七月一日||堀坂大権現祭礼||幣を付けた竹竿を立て別当と村火との掛け合いで神呪が行われる。||286
|04||[お身抜]||[1730].6.15||川口市立文化財センター分館郷土資料館||文化14年(1817)に禄行三志が伊勢国丹生俣村の小林栄蔵から譲られて武州鳩ヶ谷へ持ち帰ったもの。||お身抜
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|浅間祭り||松阪市阿波曽町||若者||(六月三〇日)||浅間まつり||川で垢離をとり山頂に御幣を立てた。ヤドでは踊りを踊り、精進落としをした。||286
|05||[お身抜]||[1730].6.15||三重県環境生活部文化振興課県史編さん班||4と同内容かつほぼ同寸のお身抜。箱書から食行生家近隣の佐野家旧蔵と考えられる。『美杉村川上小林家文書一覧表』B―12。||お身抜
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|浅間まつり||松阪市櫛田町北出||男性||六月三〇日||浅間まつり||垢離をとり、当屋で富士参り道中歌、富士講の踊りで、歌い踊ったが、現在は幣立てのみ。||286
|06||[高札]||1731.6.13||ふじさんミュージアム||食行が富士山に立てた高札二枚のうち一枚とされる。||高札
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|浅間まつり*||松阪市山添町||青年||(六月三〇日)||浅間まつり||ヤドに祭壇を作り、富士参りに出発する者は「足よ軽かれ山よかれ」と歌い踊った。||286
|07||食行身禄Ё一切の決定讀哥(本紙一紙目)||1732.7||個人蔵(山梨県富士吉田市。ふじさんミュージアム寄託)||『食行身禄Ё一切の決定讀哥』八紙分(表紙を含む。不連続)を集めたもの。題簽「一切決定御續哥」。||著作
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|浅間まつり||松阪市与原町||自治会||七月一日||堀坂大権現祭礼||幣を付けた竹を担いで、山頂に登る。昔は大山節を歌ったが現在ぱ歌わない。||286
|08||食行身禄Ё一切の決定讀(本紙一紙目)||1732.7||三重県環境生活部文化振興課県史編さん班||『食行身禄Ё一切の決定讀哥』完本。『美杉村川上小林家文書一覧表』A―8―1。||著作
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|浅間祭り*||松阪市白粉町||農民||(七月六日)||浅間まつり||幣を付けた竹を川にさした後、ほら貝を吹いて連参し、富士講の踊りと歌を行った。||287
|09||食行身禄Ё高札由□(題簽。末尾破損)||[1732.7]||ふじさんミュージアム||『食行身禄Ё一切の決定讀哥』一紙分。寛政2年(1790)まんによって解体された『決定』の「十一番」目。||著作
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|浅間さん||多気町大字荒蒔||青年||五月末||浅間さん||幣を付けた竹を持ち、ほら貝を吹き山へ登り、唄と踊りを行った。現在は幣供えのみ。||290
|10||[食行身禄真筆]||[1732.7]||北口本宮冨士浅間神社(ふじさんミュージアム寄託)||『食行身禄Ё一切の決定讀哥』半紙分が食行肖像とともに軸装されている。寛政2年(1790)まんによって解体された『決定』の「弐番」目。北口本宮冨士浅間神社所蔵の小猿屋文書(刑部自生家文書)に含まれる。||著作
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|浅間さん||多気町大字神坂||若衆、富士講||六月二八目||浅間さん||唱え事をし水垢離、富士登山には道中歌を唱ったが、現在ぱ幣を供えるのみ。||290
|11||食行身禄書翰(寄贈者による奥付)||1733.2.17||富士山本宮浅間大社||伊勢の実家宛書簡。「別離状」と通称される。||書簡
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|浅間さん*||多気町大字四疋田||||(六月二八日)||浅間さん||丑の年には富士参りが行われ、道中うたがあったが、詳細は不明。行事も廃絶||290
|12||[書簡草稿]||[1733.4?]||個人蔵(埼玉県志木市)||書きかけの書簡。「お先状」の草稿か。||書簡
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|浅間さん||多気町大字五桂||青年団||六月二八日||浅間さん||水垢離の後、浅間さんにオハケをあげ、富士山参りの唄と踊りをしたが、現在は幣あげのみ。||290
|13||[御先状と包紙]||1733.4.28||個人蔵(山梨県富士吉田市。ふじさんミュージアム寄託)||吉田の知人・田辺十郎右衛門宛書簡。「お先状」と通称される。||書簡
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|浅間さん||多気町大字平谷||青年||六月二八日||浅間さん||幣を付けた竹を持ち、山へ登ぼり、祠の前で念仏を唱える。昔は踊りを踊った。||290
|14||御入定御先状上包 御手紙(題簽)||1733.4.28||ふじさんミュージアム||年未詳6月13日と10月朔日の田辺十郎右衛門宛書簡を含む||書簡
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|浅間さん||多気町人宰相可||大字(青年団)||六月二八日||浅間さん||「帰命頂礼ザンゲ・・」と唱え山に登り「軽かれ・・」と唱い踊ったが、現在は幣供えのみ。||290
|15||神徳御寶典(題簽)||1733.6.17||ふじさんミュージアム||『添書』と呼ばれる無題の著作。中間と末尾合わせて全体の四分の一程度が欠落。||著作
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|浅間さん||多気町大字三疋田||大字||六月三〇日||浅間さん||水垢離の後、幣を付けた青竹を持ち、浅間山に登り、踊った。現在は踊りはない。||290
|16||伝・食行身禄書簡||1733.6.17||白根記念渋谷区郷土博物館・文学館||教義的な内容や和歌を記し、自死を予告した短い書き物。17に近い内容だが「四つの箱」を遺族に託す記述がある。||掌編
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|浅間行事||明和町前野||前野冨土講||六月最後の日曜日(六月三〇日)||浅間行事||ほら貝をふき冨士参りをする。道中歌・かるかれ踊。||291
|17||御はこ上書幷御足駄訣一巻(題簽)||1733.6.17||ふじさんミュージアム||教義的な内容や和歌を記し、自死を予告した短い書き物。||掌編
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|富士講||伊勢市東豊浜土路||||五月二三・三一日||||神社境内で富士参りの歌を歌い踊る。富士参りは一三年に一度行う。||295
|18||[御誕生の巻]||1733.6.17||個人蔵(東京都江戸川区)||『御誕生の巻』とよばれる文書の自筆。教義的な内容で16や17に通じる。||掌編
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|富士講*||二見町三津||富士講||(六月中旬)||富士講||土で富士山を作り、日の丸扇で山の周りを一晩中、歌い踊り明かしたが、昭和初年で廃絶。||297
|番外2||[御厨子戸扉切]||[1733夏]||ふじさんミュージアム||食行が富士山にて籠った厨子の破片とされる。自筆とみられる墨書あり。||遺物
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|富士詣り||二見町松下||||毎中年||||富士山の軸を掲げ、お祭りし、小太鼓を打ち、踊り、道歌を歌いながら旅ゆく人を送った。||297
|番外3||[腹掛]||年未詳||ふじさんミュージアム||「食行身禄の御身抜及び行衣・野袴」のうち。食行着用とされる。山梨県指定文化財。||遺物
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|浅間大祭||南勢町切原||富士講||七月第一日曜日(旧五月二八日)||浅間大祭||富士参詣道中歌を歌う。||298
|番外4||[帯]||年未詳||ふじさんミュージアム||「食行身禄の御身抜及び行衣・野袴」のうち。食行着用とされる。山梨県指定文化財。||遺物
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|浅間祭||南島町東宮||||六月二六~二八日||浅間祭||幣等を付けた大浅・小浅と呼ぶ大竹を持ち、祝い歌で各戸を廻り、踊り、山へ登る。||299
|番外5||[袴]||年未詳||ふじさんミュージアム||「食行身禄の御身抜及び行衣・野袴」のうち。食行着用とされる。山梨県指定文化財。||遺物
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|浅間祭||南島町阿曽浦||阿曽浦区||六月二六?二八目||浅間祭||浦と里に分かれ、富士道中歌を唄い幣を付けた竹を担ぎ山の祠へ登る。||299
|番外6||[道中用袴]||年未詳||ふじさんミュージアム||「食行身禄の御身抜及び行衣・野袴」のうち。食行着用とされる。山梨県指定文化財。||遺物
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|浅間祭||南島町神前浦||浅間講||六月二七・二八目||浅間神社の祭礼||赤青黄の布や幣を付けた大竹を作る。太鼓と唄で道中踊りを踊り、町内を練る。||299
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|浅間祭||南島町村山||村山区||六月二七・二八目||浅間神社の祭礼||初日は太鼓・夜踊り唄で各戸を巡り、当日は太鼓・道中唄で唄い踊り浅間山へ登る。||299
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|浅間祭||南島町古和浦||古和浦浅間講||六月二八目||浅間神社八柱神社祭礼||幣と梵天を作り、太鼓と唄に合わせて道中踊りをし、町を練る。||299
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|浅間祭★||南島町方座浦||浅間講・保存会・区||旧暦五月二七・二八日||浅間神社のお祭り||夜宮は盛大に歌い踊り町内を練る。本日は幣を持ち歌い踊りながら町内を練り山に登る。||299
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|富士講*||御薗村各地||||||||代参の無事を祈り、村に残った若者はほら貝・太鼓で富士道中の宿歌を歌った。||301
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|富士参り*||鳥羽市岩倉町||地下||(六月二〇日)||富士参り||青年が寺で一週間おこもりの後、満願ということで唄と踊りで踊った。||302
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|浅間さん||大王町畔名||富士講中||六月二八日||浅間社祭礼||太鼓・ホラ貝で富士参り歌を歌う。||305
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|浅間神社祭礼||熊野市二木島||地区||旧暦六月一日||浅間神社祭礼||ほら貝・太鼓で囃し、「吉田通れば・・」と唄を唄い、幣(オダカヘイと呼ばれる)を山に上げる。||315
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2019年7月16日 (火) 20:40時点における最新版

食行身禄遺物リスト

凡例

  • 「食行身禄に関する新出史料」、日本宗教学会第75回学術大会(2016、早稲田大学)のレジュメに用いた表を改訂したもの。
  • 順番は概ね史料内の表記に基づくが、食行の場合、必ずしも実際の製作年代や成立年代を示すものではない。
  • 角行系文字「クウ」は富士信仰アーカイブズ方式(メニューバー「旧コンテンツ」―「受付」参照)の表記に則り「Ё」で代用した。
  • 種類は、「三種のお書き物」=著作、教義的な内容を持ち料紙数枚程度で完結するもの=掌編、として区別した。
通番 史料名([ ]はタイトルを持たないもの) 年代 所蔵者 摘要 種類
01 御前ゟ御傳ゑの御もんく様かきおき申候 1728.6 個人蔵(東京都ほか) 『一字不説お開身ろく之御世之訳お書置申候』の末尾と考えられる。 著作
02 一字不説お開身ろく之御世之訳お書置申候(巻頭題) 1729.10.13 個人蔵(山梨県富士吉田市) 『一字不説お開身ろく之御世之訳お書置申候』完本。 著作
03 富士行者身禄自筆伝書(題簽) 1729.10.13 富士山本宮浅間大社 『一字不説お開身ろく之御世之訳お書置申候』完本。 著作
番外1 富士講関係文書1 1730.6.15 神宮文庫 【参考】近代に作成された『一字不説お開身ろく之御世之訳お書置申候』自筆の模写。 著作
04 [お身抜] [1730].6.15 川口市立文化財センター分館郷土資料館 文化14年(1817)に禄行三志が伊勢国丹生俣村の小林栄蔵から譲られて武州鳩ヶ谷へ持ち帰ったもの。 お身抜
05 [お身抜] [1730].6.15 三重県環境生活部文化振興課県史編さん班 4と同内容かつほぼ同寸のお身抜。箱書から食行生家近隣の佐野家旧蔵と考えられる。『美杉村川上小林家文書一覧表』B―12。 お身抜
06 [高札] 1731.6.13 ふじさんミュージアム 食行が富士山に立てた高札二枚のうち一枚とされる。 高札
07 食行身禄Ё一切の決定讀哥(本紙一紙目) 1732.7 個人蔵(山梨県富士吉田市。ふじさんミュージアム寄託) 『食行身禄Ё一切の決定讀哥』八紙分(表紙を含む。不連続)を集めたもの。題簽「一切決定御續哥」。 著作
08 食行身禄Ё一切の決定讀(本紙一紙目) 1732.7 三重県環境生活部文化振興課県史編さん班 『食行身禄Ё一切の決定讀哥』完本。『美杉村川上小林家文書一覧表』A―8―1。 著作
09 食行身禄Ё高札由□(題簽。末尾破損) [1732.7] ふじさんミュージアム 『食行身禄Ё一切の決定讀哥』一紙分。寛政2年(1790)まんによって解体された『決定』の「十一番」目。 著作
10 [食行身禄真筆] [1732.7] 北口本宮冨士浅間神社(ふじさんミュージアム寄託) 『食行身禄Ё一切の決定讀哥』半紙分が食行肖像とともに軸装されている。寛政2年(1790)まんによって解体された『決定』の「弐番」目。北口本宮冨士浅間神社所蔵の小猿屋文書(刑部自生家文書)に含まれる。 著作
11 食行身禄書翰(寄贈者による奥付) 1733.2.17 富士山本宮浅間大社 伊勢の実家宛書簡。「別離状」と通称される。 書簡
12 [書簡草稿] [1733.4?] 個人蔵(埼玉県志木市) 書きかけの書簡。「お先状」の草稿か。 書簡
13 [御先状と包紙] 1733.4.28 個人蔵(山梨県富士吉田市。ふじさんミュージアム寄託) 吉田の知人・田辺十郎右衛門宛書簡。「お先状」と通称される。 書簡
14 御入定御先状上包 御手紙(題簽) 1733.4.28 ふじさんミュージアム 年未詳6月13日と10月朔日の田辺十郎右衛門宛書簡を含む 書簡
15 神徳御寶典(題簽) 1733.6.17 ふじさんミュージアム 『添書』と呼ばれる無題の著作。中間と末尾合わせて全体の四分の一程度が欠落。 著作
16 伝・食行身禄書簡 1733.6.17 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 教義的な内容や和歌を記し、自死を予告した短い書き物。17に近い内容だが「四つの箱」を遺族に託す記述がある。 掌編
17 御はこ上書幷御足駄訣一巻(題簽) 1733.6.17 ふじさんミュージアム 教義的な内容や和歌を記し、自死を予告した短い書き物。 掌編
18 [御誕生の巻] 1733.6.17 個人蔵(東京都江戸川区) 『御誕生の巻』とよばれる文書の自筆。教義的な内容で16や17に通じる。 掌編
番外2 [御厨子戸扉切] [1733夏] ふじさんミュージアム 食行が富士山にて籠った厨子の破片とされる。自筆とみられる墨書あり。 遺物
番外3 [腹掛] 年未詳 ふじさんミュージアム 「食行身禄の御身抜及び行衣・野袴」のうち。食行着用とされる。山梨県指定文化財。 遺物
番外4 [帯] 年未詳 ふじさんミュージアム 「食行身禄の御身抜及び行衣・野袴」のうち。食行着用とされる。山梨県指定文化財。 遺物
番外5 [袴] 年未詳 ふじさんミュージアム 「食行身禄の御身抜及び行衣・野袴」のうち。食行着用とされる。山梨県指定文化財。 遺物
番外6 [道中用袴] 年未詳 ふじさんミュージアム 「食行身禄の御身抜及び行衣・野袴」のうち。食行着用とされる。山梨県指定文化財。 遺物