随筆リスト

提供:富士信仰アーカイブズ・記事リスト群
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富士信仰について書かれた随筆リスト

凡例

  • このリストは近世以降富士信仰について言及している随筆や名所案内、年中行事の類を列挙したものである(一部例外あり)。ただし、翻刻の無い随筆・『滑稽富士詣』のようなフィクション・紀行類・記述が一定地域にわたって網羅的になっている『新編武蔵風土記稿』のような地誌類は原則として除いた。
  • 掲載されている書名と著者、序文や奥付などから知られる成立年代(一定の期間にわたるものはその前後)、あれば記事に言及されている年代、本文の巻番号、翻刻(複数ある場合は信用できそうなものを一つ)、具体的な記述内容(項目名を「 」で示す)を列挙した。巻号の数字は検索の便を考えてすべて半角算用数字にしてある。原本影印が出版されている時は書名後ろに「★」を付した。「翻刻データ」には翻刻が掲載されている図書の書誌情報を一種類のみ付した。

リスト本文

タイトル 著者 成立(序・奥付など) 西暦1 西暦2 記事年代 西暦3 記載巻冊次 翻刻データ 内容
吾妻鏡 諸説あり 1300年頃     建仁3年 1203 巻十七 新訂増補国史大系 -- 32 . 吾妻鏡 ; 前篇(吉川弘文館、1964) 建仁3年6月に新田(仁田)四郎忠常が人穴を探検した記事
殿中以下年中行事 [海老名季高] 享徳5年 1455         群書類従 -- 第22輯 . 武家部1(群書類従刊行会、1958) 「六月朔日」 成立は享徳5年(康正2年)とされる(二木謙一「『鎌倉年中行事』にみる鎌倉府の儀礼」) 室町期の鎌倉での富士御精進
北條記 一名小田原記 [著者不明] 中世末期         6 續群書類従 -- 第21輯上 . 合戦部巻609下末(群書類従刊行会、1958) 富士山之事
見聞集 →慶長見聞集 三浦浄心 慶長19年 1614       巻之9 江戸史料叢書 -- 慶長見聞集(新人物往来社、1969) 「新福寺諸国くはんしんの事」駒込富士の由緒について おそらく寛永から正保までの頃の記述?
集雲和尚遺稿 集雲守藤 元和7年以後? 1621   慶長19年 1614 大日本史料 -- 第12編之13(東京大学出版会、1909) 『大日本史料』慶長19年3月9日の記事。「山城」慶長19年3月駿府城に徳川家康が五山の僧侶を召して文を作らせたとき、東福寺長老の集雲が新宮近くに宿し、そこで詠んだ漢詩の注に浅間=木花開耶姫説が初出。全体の成立は集雲守藤の没(元和7年)後?
Historia da igreja do Japão ジョアン・ロドリーゲス João Rodriguez Tçûzu 1620年代前半       1620年頃 第1巻第6章第2節 日本教会史 / 江馬務 [ほか訳・注](大航海時代叢書 -- [第1期] ; 9、岩波書店、1967) 「日本が分割されている地方区、国または領国の区分、およびそれぞれのところにある著名な山、川、湖について」「大島の第二の地方区、および各国の名称について」東海道諸国と富士山の紹介。刀剣を富士火口に寄進する巡礼者について
本朝神社考★ 林羅山 寛永年間―正保2年? 1624 1645     中之4 神道大系 -- 論説編20(神道大系編纂会、1988) 「富士山」富士山神の考証
年代記配合抄 [著者不明] 寛永16年以降 1639   文明13年 1481   北区史 -- 資料編古代中世2(東京都北区、1995) 文明13年辛丑「諸卿ニ置富士塚ヲ」
神社考証節★ 林羅山 正保2年 1645         神道大系 -- 論説編20(神道大系編纂会、1988) 「富士 浅間」富士山神の考証
江戸名所記 浅井了意 寛文2年 1662       2 假名草子集成 -- 第7巻(東京堂出版、1986) 「駒込村富士社并不寝権現」駒込富士について
江戸雀 [著者不明] ; 菱川師宣画 延宝年間? 1673 1681     9巻目 江戸叢書 -- 巻の6([復刻]、名著刊行会、1964) 「富士権現の事」駒込富士について
日次紀事★ 黒川道祐 延宝4年 1676       1月 日次紀事 : 本文と索引(前田書店、1982) 庚申の日が富士権現の縁日であること
5月 日次紀事 : 本文と索引(前田書店、1982) 五月廿五日「富士垢離」京の富士垢離について
6月 日次紀事 : 本文と索引(前田書店、1982) 6月に各地の民人が富士山へ登ることと登山の習俗
古郷帰の江戸咄   貞享4年 1687       巻2 古郷帰の江戸咄(近世文学資料類従 . 古版地誌編10、勉誠社、1980) 第16「冨士権現」駒込富士について
奈良曝   貞享4年 1687       巻3 奈良市史編集審議会会報 -- 1(奈良市史編集審議会、1963) 「町中宮」奈良市内京終町の富士権現について
増補江戸惣鹿子名所大全 藤田理兵衛著 ; 菱川師宣画 元禄3年 1690       巻之1 江戸叢書 -- 巻の3(江戸叢書刊行会、1916) 「山」駒込富士について
巻之2 江戸叢書 -- 巻の3(江戸叢書刊行会、1916) 「町中年中行事」六月朔日の駒込富士参について
巻之3 江戸叢書 -- 巻の3(江戸叢書刊行会、1916) 「富士権現」駒込富士について
滑稽雜談 四時堂其諺 正徳3年 1713       巻の3 滑稽雑談 -- 第1巻(国書刊行会、1917、ゆまに書房、1978復刻) 二月の部「浅間祭」廿日
巻の9 滑稽雑談 -- 第1巻(国書刊行会、1917、ゆまに書房、1978復刻) 五月の部上「富士垢離」
巻の11 滑稽雑談 -- 第1巻(国書刊行会、1917、ゆまに書房、1978復刻) 六月の部上「富士詣」十五日
広益俗説弁 井沢蟠竜 正徳5年 1715       [正編]巻1 広益俗説弁(東洋文庫503、1989) 「木花開耶姫、無戸室に入て焼給はざる説」
[正編]巻3 広益俗説弁(東洋文庫503、1989) 「富士浅間神は赫夜姫を祀るといふ説、附富士山、孝霊帝ノ御宇に現ずる説」
[正編]巻13 広益俗説弁(東洋文庫503、1989) 「仁田忠常、富士の狩に野猪をとゞむる説、附忠常、富士の人穴に入て地獄をめぐる説」
諸国年中行事 操巵子 享保2年 1717       巻之第1 続日本随筆大成 -- 別巻民間風俗年中行事 ; 上(吉川弘文館, 1983) 「二月」駿河国富士郡の浅間祭について
巻之第2 続日本随筆大成 -- 別巻民間風俗年中行事 ; 上(吉川弘文館, 1983) 「六月」富士詣について
広益俗説弁 井沢蟠竜 享保4年 1719       附編巻34 広益俗説弁続編(東洋文庫735、2005) 「富士山出現の事、国史に出たりといふ説」
享保12年 1727       残編巻41 広益俗説弁続編(東洋文庫735、2005) 「下野室八島の説」室の八島の浅間について
神社仏閣江戸名所百人一首★ 近藤清春 享保16年頃 1731         近藤清春画作どうけ百人一首三部作(太平文庫17、太平書屋、1985) 「駒込ふじごんげん」富士梵天と麦藁蛇の子供を描く
江戸砂子温故名跡誌 菊岡沾涼 享保17年 1732       巻之2 江戸砂子(東京堂出版、1976) 「浅間社」浅草の浅間社について
巻之3 江戸砂子(東京堂出版、1976) 「富士山」駒込富士について
巻之6 江戸砂子(東京堂出版、1976) 「富士浅間社」亀戸の浅間社について
江府名勝志 藤原之廉 享保18年 1733       巻之中 江府名勝志(有峰書店、1972) 「富士神社」駒込富士について
巻之中 江府名勝志(有峰書店、1972) 「富士浅間社」浅草の浅間社について
巻之中 江府名勝志(有峰書店、1972) 「富士浅間社」亀戸の浅間社について
続江戸砂子温故名跡志 菊岡沾涼 享保20年 1735       巻之1 江戸砂子(東京堂出版、1976) 「富士詣」六月朔日の駒込神社の祭礼について
奈良坊目拙解 無名園古道 →村井勝九郎 享保15年-享保20年 1730 1735     巻第1 奈良市史編集審議会会報 -- 1(奈良市史編集審議会、1963) 「京終町」奈良市内京終町の天神社(浅間社)について
巻第14 奈良市史編集審議会会報 -- 1(奈良市史編集審議会、1963) 「登大路町」奈良市外登大路町の富士垢離行家と吉城川の富士講の垢離場について
葛飾記 青山某 寛延2年 1749       下巻 燕石十種 -- 第5巻 (中央公論社、1980) 「富士浅間」下総国葛飾郡山野村の浅間社について
尾州様御鷹場御定杭場所書上帳 宝暦3年頃 1753         小平市史料集 -- 第21集 . 鷹場 ; 1 (小平市教育委員会、1997) 尾張藩御鷹場の御定杭周辺の地理を記したもの。14番杭(東京都府中市)の富士見塚、22番杭(東京都青梅市新町)の富士塚、41番杭(埼玉県富士見市)のオトウカ山、68番杭(埼玉県和光市)の富士浅間社の記述あり
絵本西川東童★ 西川祐信 明和4年 1767       日本子どもの歴史叢書 -- 7 (久山社、1997) 「富士参り」
江戸塵拾 [著者不明] 明和4年? 1767   宝永年間 1704 巻之1 燕石十種 -- 第5巻 (中央公論社、1980) 「富士祭の蛇」
翁草 神沢杜口 明和9年-寛政3年 1772 1791     巻39 日本随筆大成 -- 第3期 . 20 (吉川弘文館、1978) 「富士山人穴の事」
再挍江戸砂子温故名蹟誌 菊岡沾涼著 ; 恒足軒再挍 ; 冬渉訂正 明和9年 1772       巻之2 江戸砂子(東京堂出版、1976) 『砂子』と3つ同じだが浅草の浅間社についてのみ後補あり
大抵御覧 朱楽館公 →朱楽菅江 安永8年 1779   安永8年 1779   洒落本大成 -- 第9巻(中央公論社、1980) 「新富士」高田富士建立について
閭里歳時記 川野辺寛 安永9年 1780       巻下 続日本随筆大成 -- 別巻民間風俗年中行事 ; 上(吉川弘文館、1983) 「六月」上州高崎の浅間祭について
絵本吾妻抉 北尾重政画 天明6年? 1786         江戸風俗図絵集 -- 下(国書刊行会、1986) 駒込の富士について狂歌と絵
駿河舞 喜多川歌麿画 寛政2年 1790         江戸風俗図絵集 -- 下(国書刊行会、1986) 駒込の富士について狂歌と絵
年中故事 玉田永教 寛政12年 1800       巻之7 続日本随筆大成 -- 別巻民間風俗年中行事 ; 下(吉川弘文館, 1983) 「富士垢離」京の富士垢離について
巻之8 続日本随筆大成 -- 別巻民間風俗年中行事 ; 下(吉川弘文館、1983) 「富士山上」富士登山について
増補江戸年中行事 [著者不明] 享和3年 1803         続日本随筆大成 -- 別巻民間風俗年中行事 ; 上(吉川弘文館、1983) 「六月」富士参について
藤岡屋日記 藤岡屋由蔵 →須藤由蔵 文化1年-慶応4年 1804 1867 文政9年 1826 第7 近世庶民生活史料藤岡屋日記 -- 1(三一書房、1987) 近藤富蔵による目黒新富士の殺人事件について
嘉永2年 1849 第25 近世庶民生活史料藤岡屋日記 -- 3(三一書房、1988) 嘉永の富士講取締令とその風聞
ひともと草 大田南畝編 文化3年 1806   寛政11年 1799 中巻 新燕石十種 -- 第2巻 (中央公論社、1981) 高木元如「富士詣の記」
諸国図会年中行事大成★ 速水春暁斎 文化3年 1806       巻之3下 日本庶民生活史料集成 -- 第22巻祭礼(三一書房、1979) 五月廿五日「富士垢離」京の富士垢離について、「日次紀事」に同じ
巻之4 日本庶民生活史料集成 -- 第22巻祭礼(三一書房、1979) 六月朔日「富士市」駒込富士の市。同「富士山上」富士登山について
飛鳥川 柴村盛方 文化7年 1810         日本随筆大成 -- 第2期 . 10 (吉川弘文館、1974) 富士権現の祭礼について
楓軒偶記 小宮山楓軒 文化7年 1810       6 百家随筆 -- 第2(国書刊行会、1917) 富士登山の回想
塵塚談 小川顕道 文化11年 1814       下の巻 燕石十種 -- 第1巻 (中央公論社、1979) 「駒込富士詣の事」
下の巻 燕石十種 -- 第1巻 (中央公論社、1979) 「富士の人穴の事」
武蔵野話 斎藤鶴磯 文化11年 1814       [初編] 武蔵野話(有峰書店、1969) 武州引又村(埼玉県志木市)の田子山の塚より出土した富士修験の逆修板碑について
耳嚢 根岸鎮衛 文化11年 1814   文化5年? 1808 巻之10 耳嚢 --下 (岩波文庫黄(30)-261-3、1991) 「駒込富士境内昇竜の事」駒込富士境内の護摩堂に起きた怪異の話
文化6年 1809 巻之10 耳嚢 --下 (岩波文庫黄(30)-261-3、1991) 「蘇生せし老人の事」赤坂裏伝馬町の吉兵衛という富士行者が死を期したものの蘇生した話
遊歴雑記★ 十方庵敬順 文化11年 1814   文化年間 1804 初編之上 遊歴雑記初編 -- 1(東洋文庫499、1989) 「29中目黒村別所新富士山」目黒新富士について
文化11年 1814 初編之下 遊歴雑記初編 -- 2(東洋文庫504、1989) 「12高田戸塚村水稲荷新富士山」高田富士について
遊歴雑記★ 十方庵敬順 文化12年 1815   文化12年 1815 2編之中 江戸叢書 -- 巻の4(江戸叢書刊行会、1916) 「29富士権現曽我兄弟の小祠」駒込富士にある曽我兄弟の祠について
2編之下 江戸叢書 -- 巻の4(江戸叢書刊行会、1916) 「19浅草富士せんげんの例祭」
松坂風俗記★ 服部中庸 文化12年頃 1815         松坂風俗記(東海印刷、2011) 五月に富士垢離の記事あり
松屋筆記 高田与清 文化12年-弘化2年? 1815 1845 文政年間? 1818  巻之37 松屋筆記 -- 第1(国書刊行会、明治41年) 「富士塚」「高田」の署名と巻の位置からして文政年間の記述か
隔掻録 江湖浪人月所 文化13年 1816   文化13年 1816   甲斐叢書 -- 第7巻(甲斐叢書刊行会、1935) 郡内志(甲斐国志草稿)の記述を修補したもの
市隠月令 了阿 文化―文政年間? 1804 1829       業餘稿叢(木村三四吾、1976) 「六月」に富士詣
我衣 加藤曳尾庵 文化3年ごろ―文政8年 1806 1823 文化11年 1814 巻9 日本庶民生活史料集成 -- 第15巻都市風俗(三一書房、1971) 文化11年4月の富士講取締令について記述あり。冒頭の番号は校訂者による。
文政1年 1818 巻13 日本庶民生活史料集成 -- 第15巻都市風俗(三一書房、1971) 5月28日の条に渋谷で金色の亀を拾った女童が「お水の太郎」(山吉講の吉田平左衛門?)に亀を贈る話。冒頭の番号は校訂者による。
遊歴雑記★ 十方庵敬順 文政2年 1819       3編巻之中 江戸叢書 -- 巻の5(江戸叢書刊行会、1916) 「55立野の月夜の感慨」武州多摩郡立野の富士塚について
3編巻之下 江戸叢書 -- 巻の5(江戸叢書刊行会、1916) 「16川越仙波愛宕山の風景」武州川越の富士浅間宮について記述あり
遊歴雑記★ 十方庵敬順 文政3年 1820   文政3年 1820 4編巻之上 江戸叢書 -- 巻の6([復刻]、名著刊行会、1964) 「45目黒村別所の新富士山再遊」目黒新富士について
文政3年 1820 4編巻之上 江戸叢書 -- 巻の6([復刻]、名著刊行会、1964) 「51雑司谷村茶屋町の逍遥」護国寺の富士について記述あり
海録 山崎美成 文政3年-天保8年? 1820 1837     巻之5 海録(国書刊行会、1915) 「六月朔富士参り」
甲子夜話 松浦清 →松浦静山 文政4年-文政10年 1821 1827     巻30 甲子夜話 -- 2(東洋文庫314、1977) 「32富士山上の話」富士山の聞き書き
文政8年 1825 巻67 甲子夜話 -- 5(東洋文庫338、1978) 「13行智富士紀行」修験者行智の富士山紀行
    巻67 甲子夜話 -- 5(東洋文庫338、1978) 「18富士講始末」行智が見聞した富士講について
遊歴雑記★ 十方庵敬順 文政7年 1824   文政6年 1823 5編巻の上 江戸叢書 -- 巻の7([復刻]、名著刊行会、1964) 「四天王寺開帳奉納之員数」四天王寺が本所回向院に開帳した時の奉納名簿に富士講の名あり
兎園小説 曲亭馬琴[編] 文政8年 1826       第4集 日本随筆大成 -- 第2期 . 1(吉川弘文館、1973) 「駒込富士之由来并加州御屋敷氷室之事」文宝堂(亀屋久右衛門)による駿河屋喜太郎からの聞き書き
甲子夜話 松浦清 →松浦静山 文政10年-天保4年 1827 1833     続篇巻18 甲子夜話続篇 -- 2(東洋文庫364、1979) 「6富士講の旅宿」吉田御師が江戸につくった出張所について
続篇巻23 甲子夜話続篇 -- 2(東洋文庫364、1979) 「6富岳頂上并臨下の図」行智が見た富士山頂と図
巷街贅説 塵哉翁 文政12年 1829   嘉永2年 1849 巻之6 続日本随筆大成 -- 別巻近世風俗見聞集 ; 10(吉川弘文館、1983) 「富士講」
嬉遊笑覧 喜多村筠庭 →喜多村信節 文政13年 1830       巻7 日本随筆大成 -- 別巻嬉遊笑覧 ; 3(吉川弘文館、1979) 「富士詣」「千垢離」「禅定」「富士嶺登り初め」「富士の高さ」「身禄がこと」「山上日出」「氷」「駒込富士」「新富士」
柳亭遺稿 柳亭種彦 天保年中? 1830 1843       続燕石十種 -- 第3巻 (中央公論社、1980) 「駒込の富士まうで」
宝暦現来集 山田桂翁 天保2年 1831       巻之2 続日本随筆大成 -- 別巻近世風俗見聞集 ; 6(吉川弘文館、1982) 「所々富士を祭事」
[江戸近郊道しるべ] 村尾正靖 →村尾嘉陵 天保2年? 1831   天保2年 1831   江戸近郊道しるべ(東洋文庫448、1985) 「高田村天満宮の記、附上高田村仙元塚」上高田村仙元塚(現・新宿区上落合2-29にあった大塚という塚。現存せず)について
五節供稚童講譯 →五節供稚曹講訳 →年中行事五節供稚曹講譯 →年中行事五節供稚曹講訳 山東京山作 ; 歌川国芳・国安画 天保3年-天保4年 1832 1833 2篇1之巻 五節供稚童講訳(太平文庫31、太平書屋、1995) 「六月の部 富士さんけいの事」子供向けに富士詣を解説
江戸名所図会★ 斎藤長秋 →斎藤幸雄, 斎藤莞斎 →斎藤幸孝, 斎藤月岑 →斎藤幸成 ; 長谷川雪旦画 天保5年-天保7年 1834 1836     巻之1 天枢之部 新訂江戸名所図会 -- 1(ちくま学芸文庫エ-1-1、1996) 「湊稲荷の社」東京都中央区湊の鉄砲洲稲荷の富士塚の図あり
巻之2 天璇之部 新訂江戸名所図会 -- 2(ちくま学芸文庫エ-1-2、1996) 「富士浅間祠」神奈川県横浜市西区浅間町の浅間祠について
巻之3 天璣之部 新訂江戸名所図会 -- 3(ちくま学芸文庫エ-1-3、1996) 「千駄ヶ谷八幡宮」東京都渋谷区千駄ヶ谷の鳩森八幡神社の富士塚の図あり
巻之3 天璣之部 新訂江戸名所図会 -- 3(ちくま学芸文庫エ-1-3、1996) 「浅間山」神奈川県川崎市多摩区菅仙谷の寿福寺に続く山にある浅間祠について
巻之4 天権之部 新訂江戸名所図会 -- 4(ちくま学芸文庫エ-1-4、1996) 「高田富士山」高田稲荷~高田富士について
巻之4 天権之部 新訂江戸名所図会 -- 4(ちくま学芸文庫エ-1-4、1996) 「木花開耶姫の社」東京都豊島区高田にあった(?)清玄坂の浅間祠について
巻之4 天権之部 新訂江戸名所図会 -- 4(ちくま学芸文庫エ-1-4、1996) 「神齢山護国寺」護国寺の音羽富士について図あり
巻之5 玉衝之部 新訂江戸名所図会 -- 5(ちくま学芸文庫エ-1-5、1997) 「富士浅間の社」駒込富士について。富士詣の様子の図あり
巻之6 開陽之部 新訂江戸名所図会 -- 5(ちくま学芸文庫エ-1-5、1997) 「富士浅間祠」「浅間の淵」足立姫伝説と現在東京都足立区宮城の宮城氷川神社で祀る浅間祠について
甲子夜話 松浦清 →松浦静山 天保5年-天保12年 1834 1841 天保3年 1832 三篇巻5 甲子夜話三篇 -- 1(東洋文庫413、1982) 「11近頃富士ゑ上る者法華の題目を唱并この輩所建多宝塔等災変、彼堂宇を建し人の村々其災を蒙りし話」富士に登った女法華信者の話
天保5年 1835 三篇巻7 甲子夜話三篇 -- 1(東洋文庫413、1982) 「17富士大陥之図」富士山頂の図
    三篇巻29 甲子夜話三篇 -- 3(東洋文庫418、1983) 「2富岳東面の図、顰蹙せし数条」日蓮宗によって描かれた富士山の図について
百家琦行伝 八島五岳編 天保6年 1835       2之巻 有朋堂文庫 -- 先哲像伝 . 近世畸人伝 . 百家琦行伝(有朋堂、1935) 「不二行者藤四郎」
春夢独談 沢近嶺 天保8年 1837       下巻 続日本随筆大成 -- 8(吉川弘文館, 1980) 村田春海門下の国学者による不二道・富士講批判
東都歳事記 斎藤月岑 →斎藤幸成 ; 長谷川雪旦画 天保9年 1838       巻之2 東都歳事記 -- 2(東洋文庫177、1970) 「五月晦日」富士参
巻之2 東都歳事記 -- 2(東洋文庫177、1970) 「六月朔日」 富士参
巻之2 東都歳事記 -- 2(東洋文庫177、1970) 「六月三日」白山、千駄ヶ谷の富士参
巻之2 東都歳事記 -- 2(東洋文庫177、1970) 「六月十一日」護国寺富士参
巻之2 東都歳事記 -- 2(東洋文庫177、1970) 「六月十五日」高田富士参
[江戸風俗惣まくり →江戸風俗總まくり →江戸風俗総まくり]   弘化3年 1846         江戸双書 -- 巻之8 (名著刊行会、1964) 著者不詳・原題無し。「富士祭」、駒込富士詣と富士講の焚上を比較
寧府紀事 川路聖謨 嘉永1-2年 1848 1849 嘉永1年 1848 第3 川路聖謨文書 -- 第4 (日本史籍協會 →日本史籍協会、1928) 4月29日。キリシタンへの言及だが神の名について角行系と酷似
嘉永2年 1849 第4 川路聖謨文書 -- 第5 (日本史籍協會 →日本史籍協会、1929) 4月26日、富士講についての所感。同27日、奈良奉行所で取調べ中の不二道信徒が所持していた文書について。閏4月1日、不二道での作字について。同8日、不二道信徒を川路が直接審問。9月20日、寺社奉行より不二道について書状到着。同21日、不二道を嘆く
萬歳書留控 →万歳書留控 羽田野敬雄 →羽田野敬雄 嘉永2年-安政1年 1849 1854 嘉永2年 1849 第4冊 幕末三河国神主記録 : 羽田野敬雄『萬歳書留控』(清文堂史料叢書第69刊、清文堂、1994) 「一不二道差留之事」同年に出された不二道取締令と岡崎で取り調べられた信徒について
路女日記 滝沢路 →瀧澤路 →滝沢みち →瀧澤みち 嘉永2年-安政5年 1849 1858 嘉永2年 1849 第1冊 路女日記([木村三四吾]、[1994]) 嘉永2年8月6日、路の子、太郎のために富士講を呼び、7日祈祷、8日道具返却
武江年表 斎藤月岑 →斎藤幸成 嘉永2年-明治11年 1849 1878 慶長年間 1596 巻之1 定本武江年表 -- 上 (ちくま学芸文庫エ-1-9、2003) 「(慶長)此年間記事」見聞集から駒込富士についての抄録
宝永年間 1704 巻之3 定本武江年表 -- 上 (ちくま学芸文庫エ-1-9、2003) 「(宝永)此年間記事」駒込富士にて麦藁蛇売られる
享保2年 1717 巻之4 定本武江年表 -- 上 (ちくま学芸文庫エ-1-9、2003) 「享保二年」鉄炮洲から駒込富士へ花万度を送る
享保18年 1733 巻之4 定本武江年表 -- 上 (ちくま学芸文庫エ-1-9、2003) 「享保十八年」食行の死について
寛政12年 1800 巻之7 定本武江年表 -- 中 (ちくま学芸文庫エ-1-10、2003) 「寛政十二年」富士へ女人参詣ゆるす
文化年間 1804 巻之7 定本武江年表 -- 中 (ちくま学芸文庫エ-1-10、2003) 「(文化)此年間記事」目黒村に富士塚
文政年間 1818 巻之8 定本武江年表 -- 中 (ちくま学芸文庫エ-1-10、2003) 「(文政)此年間記事」深川永代寺・鉄炮洲稲荷・萱場町薬師境内に富士塚 神田明神に浅間社勧請
文政11年 1828 巻之8 定本武江年表 -- 中 (ちくま学芸文庫エ-1-10、2003) 「文政十一年」小野照崎神社に富士塚
天保年間 1830 巻之8 定本武江年表 -- 中 (ちくま学芸文庫エ-1-10、2003) 「(天保)此年間記事」深川仲町の富士塚を壊して町屋に
天保4年 1833 巻之8 定本武江年表 -- 中 (ちくま学芸文庫エ-1-10、2003) 「天保四年」寺島蓮花寺にて富士山本尊大日如来開帳
嘉永2年 1849 巻之9 定本武江年表 -- 下 (ちくま学芸文庫エ-1-11、2004) 「嘉永二年」富士講禁止令
万延1年 1860 巻之10 定本武江年表 -- 下 (ちくま学芸文庫エ-1-11、2004) 「万延元年」富士へ女人参詣ゆるす 駒込富士内拝
明治4年 1871 巻之12 定本武江年表 -- 下 (ちくま学芸文庫エ-1-11、2004) 「明治四年」道了尊出開帳に富士講参集
明治5年 1872 巻之12 定本武江年表 -- 下 (ちくま学芸文庫エ-1-11、2004) 「明治五年」富士へ女人参詣ゆるす
明治6年 1873 巻之12 定本武江年表 -- 下 (ちくま学芸文庫エ-1-11、2004) 「明治六年」芝大教院遷座へ富士講参集
絵本江戸土産★ 歌川広重 (初代・二代・三代) 嘉永3年-慶応4年 1850 1867     2編 上・繪本江戸土産(桜楓社、1969)、下・江戸風俗図会集 -- 下(国書刊行会、1986) 銕炮洲湊稲荷境内の不二
7編 上・繪本江戸土産(桜楓社、1969)、下・江戸風俗図会集 -- 下(国書刊行会、1986) 目黒元不二下道
7編 上・繪本江戸土産(桜楓社、1969)、下・江戸風俗図会集 -- 下(国書刊行会、1986) 同所新富士山上眺望
8編 上・繪本江戸土産(桜楓社、1969)、下・江戸風俗図会集 -- 下(国書刊行会、1986) 高田富士山
8編 上・繪本江戸土産(桜楓社、1969)、下・江戸風俗図会集 -- 下(国書刊行会、1986) 大久保西向天神
9編 上・繪本江戸土産(桜楓社、1969)、下・江戸風俗図会集 -- 下(国書刊行会、1986) 深川八幡富士
南総珍 渡辺増右衛門 嘉永7年 1854   嘉永2年 1849 第2編 房総叢書 -- 第2輯(房総叢書刊行会、1914) 「浅間」御宿郷の浅間について「富士講」
宮川舎漫筆 宮川政運 安政5年 1858       巻之2 日本随筆大成 -- 第1期 . 16 (吉川弘文館、1976) 「富士講行者伝」
柳庵随筆余編 栗原信充 万延1年 1860         日本随筆大成 -- 第2期 . 18 (吉川弘文館、1974) 下谷寺町専修院にあった角行社について
俗事百工起源 宮川政運 慶応1年 1865       巻之下 未刊随筆百種 -- 3 (米山堂、1927) 「富士講の始」
守貞謾稿 北川守貞 →喜田川守貞 慶応3年 1867       巻之27夏冬 守貞謾稿 -- 第4巻(東京堂出版、1992) 五月晦日、六月朔日の富士詣と麦藁蛇の記事あり
Skitser fra Japan エドゥアルド・スエンソン Edouard Suenson 明治2年 1869   慶応2年 1866 第1部2横浜1 江戸幕末滞在記(講談社学術文庫1625、2003) デンマーク人のフランス海軍士官による富士山の感想と伝聞
A handbook for travellers in central & northern Japan : being a guide to Tōkiō, Kiōto, Ōzaka, Hakodate, Nagasaki, and other cities, the most interesting parts of the main island, ascents of the principal mountains, descriptions of temples, and historical notes and legends アーネスト・メイスン・サトウ Ernest Mason Satow, and アルバート・ジョージ・シドニイ・ホーズ A.G.S. Hawes 明治17年 1884         2nd ed., rev. -- J. Murray, Kelly, 1884 明治日本旅行案内 / 庄田元男訳(平凡社、1996) 「ルート7富士とその近隣」
東京風俗志 平出鏗二郎 明治34年 1901       中の巻 平出鏗二郎東京風俗志(八坂書房、1991) 「富士祭」
新編常陸国志★ 中山信名 ; 色川三中修訂 ; 栗田寛増補 明治34年 1901   ~天保7年 1836 巻8(巻82) 復刊新編常陸国志(宮崎報恩会、1969) 「富士塚」として中世の記述あり 中山信名は天保7年の没なので化政・天保ごろの記述か
江戸府内絵本風俗往来 蘆乃葉散人 →菊池貴一郎 明治38年 1905       上編巻之4、中編巻之3 江戸府内絵本風俗往来(東陽堂支店、1905) 上編巻之4「富士登山江戸発途」「富士大菩薩へ線香を奉る」「富士祭詣ふて」、中編巻之3「富士講中神拝」。挿図あり
東京年中行事 若月紫蘭 明治44年 1911       下の巻 東京年中行事1(東洋文庫106、1968) 「五月暦」三十一日に山開き 以下明治43-44年ごろの万朝報社会欄の記事と同文?
下の巻 東京年中行事2(東洋文庫121、1968) 「六月暦」富士祭(六月一日又は七月一日)
下の巻 東京年中行事2(東洋文庫121、1968) 「六月暦」白山の富士神社祭(六月三日、四日)
下の巻 東京年中行事2(東洋文庫121、1968) 「七月暦」山開と富士詣(陰暦六月一日)