東京都足立区にある丸藤講のお伝え(三)

▼内容の分析

 前回に続いて、東京都足立区五反野の丸藤講で使われていた「お伝え」(主として折本状の、富士講が用いる勤行用テキスト)を取り上げる。前回では、先行して発表されているものに同種のものがあることを指摘し、その影印を公表した。影印を撮影する際には、デジカメを複写台に固定して撮影したのであるが、色調がやや正確でなく、ピントがあまり出ていないのが不満である。何か別に対策を考えねばなるまい。
 このお伝えの次第は以下のようになっている。[]のついているものは私が便宜的に付したものである。旧字は使えるものだけ用いた。

  1. [手水祓]
  2. 垢離
  3. 縁記
  4. [神名の列挙I]
  5. 水文勺
  6. 近塔
  7. 躰堅
  8. 神歌
  9. 星祭
  10. [神名の列挙II]
  11. [お身抜]
  12. 御神Ж
  13. 十五首様
  14. [御神語三遍]
  15. 大我大願成就五首
  16. 蠶扶桑國
  17. 罪過赦
  18. 御修行
  19. 孝忍
  20. 西口
  21. [内の八海の和歌]
  22. 庚申
  23. 追善回向
  24. [奥付]

 以上、24パートに分割してみた。[内の八海の和歌]は実際には8つの独立した和歌から成り立っているが、便宜的に一つにまとめてみた。
 このようにして表題だけを概観すると、(1)配列としてはオーソドックスなものであるといえるが、神道・仏教から流用されているもの(祝詞や般若心経)がない(2)御文句(角行系宗教で使われる呪文)の名前に漢字をこのお伝え独特の漢字表記を当てはめている、の二点が指摘できるだろう。
 一般にお伝えでは、御文句として「おみず」「ちかのとう」「たいかたまる」「ごしんか」「みぬけ」の五つが用いられる。これらの表記をどうするかはそのお伝えによって不定であるが、この場合は「水文勺」「近塔」「躰堅」「神歌」と当て字され、最後の「みぬけ」には「御神Ж」という名前が当てられている。このように御神語の当て字を漢字二文字に徹する表記は寡聞にしてあまり見ない。
 祝詞や般若心経が見られないところは物足りなさを感じる。が、前回で推測したように、これが汎用性をもった(最大公約数として各地の富士講に対応できる)お伝えとして作られているとしたら、他の宗教からの流用をしないことで対応しやすくしようとした可能性もある。しかし、「孝忍」と称する「富士七分行法子臥寅起働夜晝息風一筋御助願奉」などは他のお伝えでは見ないものである。五葉印刷所でこのお伝えが造られる元となったであろう「原型のお伝え」があったはずだが、それがどのようなものであったかに興味を覚える。
 また、このお伝えで用いられている角行系文字、特にЖが変わっている。下に示したのは見開き10ページ目にあるお身抜の部分にあるЖのアップである(ただしクリックしても拡大はされない)。

見開き10ページ目を拡大

 Жは普通「日+月+有+天」を組み合わせて造られるのが一般的である。しかし、このお伝えのЖは「口+一+田+口+止(?)」によって造られている。この字は角行系文字、特にЖを見慣れていると甚だ違和感を感じざるを得ない。

▼田端本との比較―修正点について

 前回にも書いたように、このお伝えと同一の版である田端山元講のお伝えとの大きな違いは「本文のルビに修正・加除の跡がある」ということである。手書きによる修正ではなく活字を使って行われ、しかもその活字は従来から有るルビと同一のものと思われる。よって、この修正・加除は印刷所で印刷された後、納品される前に行われたものではないかと推測できる。これより一年遅い奥付を持つ田端のものに何故これらの修正が施されず、あるいは改訂されなかったのかは疑問である。修正・加除された方が却って間違っていて、取りやめにしたというわけでもない。直された方が読みとしては理にかなっている。ともかく、これらの変化をテキストのバリアントとして挙げていこうと思う。
 ルビに加えられた加工には三通りのパターンがある。下に図入りでその例を示す。

  1. 単に文字を脇に挿入する
  2. 黒い丸のスタンプ(?)を押して一文字を削除する
  3. 上二つを組み合わせてルビを修正する
見開き3ページ目を拡大 見開き6ページ目を拡大 見開き5ページ目を拡大
1、挿入の例2、削除の例3、修正の例

 挿入例を見ると、語句を挿入する箇所は挿入句の第一字のある字間である。この場合では「(・・・ヒラ)カセタマヒテサンゴク(ダイイチ・・・)」となる。
以下に、その加除・修正の様子を一覧にしてみる。ページは前回の写真での見開き単位で、行数は割書きになっているところは1行として右から数えることにする(ちなみに、折本1ページあたり標準的な文字の大きさで5行あり、見開きでは10行が最大となる)。削除は取消し線で、挿入は赤字で示す。修正箇所前後の文は最低限文脈がとらえられるだけ引用する。

お伝えルビの修正一覧
田端本五反野本
16ミヲキヨシキヨシ
16ココロキヨシココロキヨシ
21シユツシヤウコンゲンシユツシヤウコンゲン
23ニニギノミコトオンキサキニニギノミコトオンキサキ
25タモウトキニンワウタモウトキニンワウ
28アラタモウユヘニアラワレタモウユヘニ
31ヒラカセサンゴクヒラカセタマヒテサンゴク
33ニヨニンアンサンニヨニンアンサン
36ニニギノミコトオンキサキニニギノミコトオンキサキ
39トヨタマヒメノミコトオンキサキトヨタマヒメノミコトオンキサキ
310チジンヨダイイツテノアルジチジンヨダイイツテノアルジ
41コノハナサクヤヒメノミコトフジサンニコノハナサクヤヒメノミコトフジサンニ
44クワナンノガレクワナンノガレ
58ツユモミタマルツユミタマル
67ツミカタマルミカタマル
68サイテンヂクアヘテサイテンヂクアヘテ
76ミルコトモミコクミルコトミコク
77シラザルガユヘニサントミヨシラザルガユヘナリサントミヨ
77ミルコトモチノミチヲミルコトチノミチヲ

 以上19箇所が修正されている箇所である。これを一瞥して気づくのは助詞の追加が主であること、修正箇所が全体の前の部分に集中していることである。後者の理由はおそらく、お伝えの後ろの部分が平仮名の多い和歌が集中していて、「縁記」のような漢字ばかりの文句がないことにあると思われる。
 また、修正されている箇所のうち、最後のほうは講によって訓みの一定していない(表記すらも一定していない)御文句に対するものであるが、この修正の基準がどこにあったのかが問題となる。それはこのお伝えの原本となるものに書いてあったのか、それを提供した富士講関係者の口承によるものなのか、それとも納品先(この場合は丸藤講)による注文だったかもしれない。もし、この修正が納品先の注文によるものならば、これより後に印刷された田端のものに一切修正が加えられていない理由になり得る。即ちこの訓みが丸藤のローカルなものであって、田端ではそうは唱えなかったということである。ただし、昭和初期の口承に関わることなので確認する術はもはや全くないし、それ以前に「修正がなければないで日本語として不自然」という点を解決する理由にはならない。やはり修正はあったほうが訓みとしてはすっきりする。

▼まとめ

 以上、三回に渡って足立区五反野の丸藤講に伝わっていた活字印刷のお伝えについて解説した。いずれ機会を見て報告されている、各地のお伝え(自治体の調査報告として出版されることがある)をリストアップしたいと思っているが、それら一般的なお伝えを見慣れているとこのお伝えはかなり「機械化」されている印象を受ける。例えが卑俗であるが、普通のお伝えを犬とするなら、対するこのお伝えはソニーのAIBOである。よく似てはいるし、同等の機能さえ持つが、その文面(タイポフェイスの字面ではなく)はすこぶる「人為的」というか「機械的」なにおいがする。
 お伝えは書写されるのが普通である。その名のとおり「伝承」されるべきものではあるが、ニュアンスとして量産されることを考えてはいないと思う。あくまで自分の講だけで伝わり、彼らの法会や富士登山というごく限られた機会においてのみ使用される局地的なものである。そして、その内容は富士講全体から見れば似たり寄ったりであろうが、しかし講内部の視点からみれば講の中(あるいは講のファミリー)だけで完結すべきものである。何故かといえば、それが彼らにとってはユニークであるべき「伝承の」系統を証明するものに他ならないからである。例え自分で唱えている文句のその意味がわからなくても、彼らはお伝えを書写し用いてまた書写し、あるいは講の所有物として残すことで講としての存続を伝えて自らの系統を証明しつつも生産し続けていくのである。おそらく、これはお伝えのみならず、講で宝典扱いされる食行の著作や秘伝扱いされる教義関係の文書にも当てはまることだと思う。
 この五反野のお伝えはそれに反し活字印刷という量産の効く手段で、しかも商品として生産されたはずである。が、実際どこまで普及したかは定かではない。田端と足立から見つかっている(しかも出版地は田端)ということで、千住の丸藤講周辺やあるいは東京北東部の富士講から同様のものが発見される可能性は非常に高い。もし心当たりのある方はご一報願いたい。五反野のものに加えられた修正が他ではどのようになっているかぜひ知りたいと思う。

 最後になってしまったが、お伝えの拝借・調査と公表を快諾してくださった柳川峰造氏に心から感謝申し上げたい。柳川氏のご自宅にもパソコンがあったけれど、ご本人は「孫がよくやるけど私はまったくやらないのですよ」とおっしゃる。できればご自宅からネット経由でこのお伝えを見ていただければ喜ばしいのだが、私はこれを印刷してお目にかけることになるだろう。
 実は柳川氏は見開き4ページ目にある「日」と「吉」が組み合わさった合字を何と読むのか、気にかけてくださり、いろいろと調べてくださったらしい。北区教育委員会『田端冨士三峰講調査報告書』(文化財研究紀要別冊第九集、東京都北区教育委員会生涯教育部社会教育課、1996)p.79によれば、「日吉の合字と考えられ、(中略)山王大権現を表したものと考えられる」という。富士山頂八葉の神々として山王というのは違和感が無いでもないが、一応の説得力はある。
 本当に最後になってしまったが、このお伝えと出会うきっかけを作ってくださった唐松秀典氏にも心から感謝申し上げたい。いや、実は唐松氏にはもう少しそのご好意に甘えてしまうことになる。それはこれからの講堂にご期待いただきたい。