東京都足立区にある丸藤講のお伝え(二)
▼お伝えの概要
前回に続いて、東京都足立区にある丸藤講のお伝えについてである。
このお伝えには、他のお伝えと大きく違う点がある。それは活字印刷されたお伝えであるということだ。一般的にお伝えは手書きで書かれている。また、印刷(コピー)されていたとしても原稿は基本的に手書きである。文字に富士講特有の、私が角行系文字と呼ぶ一群の文字が用いられており印刷に不便である点、また決まって小部数の需要しかないために印刷するにはコストがかかりすぎるという点が理由としてあげられると思う。しかし、このお伝えは影印をご覧になればお判りのように、明らかに活字印刷されたものである。
実は、今回紹介するものと全く同じ内容のものが公開されている。それは北区田端にある田端山元講のお伝えである。この講は平成四年に北区教育委員会によって調査され、その成果が北区教育委員会『田端冨士三峰講調査報告書』(文化財研究紀要別冊第九集、東京都北区教育委員会生涯教育部社会教育課、1996)として公刊された。その中に『山元講社御縁起』としてその影印が収録されている。それこそが丸藤のお伝えと全く同内容である。この二者の相違点は以下の通りである。
- 田端のものが冊子体(大和綴)であるのに対し、こちらは折本である。
- 文中にあるお身抜きに講紋があしらわれているが、田端のものが山元講の講紋であるのに対し、こちらは丸藤の紋。
- 田端のお伝えの発行年は昭和四年六月であるのに対して昭和三年五月。
- 田端の方の末尾に「五葉印刷所納/東京府田端三四五」と印刷者が記されているが、こちらにはそれがない。
- 丸藤のものには印刷所の段階でルビを修正・加除した跡がある。しかし、田端の方は丸藤より遅い出版年であるにもかかわらず、それらが全くない。
田端のお伝えにある五葉印刷所という印刷所が、おそらく両者の印刷所ではないかということは容易に想像できる。一つの講のお伝えが一度に刷られる部数は多くて数十程度から五十程度であって、百部以上刷られることはあるまい。特に近代に入ってからの富士講は地域的な枠組みに大きく依存するから、一つの講が何百人という単位に膨れ上がることはない。東京都新宿区西早稲田の丸藤宮元講社でも多くのお伝えが所蔵され、法会の際に用いられるが、出版年がまちまちで、同じ年のものはむしろ少なかったように記憶している。
つまり、少数しか刷らないのだから、お伝えを印刷所に注文すれば割高な特注品になるはずだが、もし印刷所のほうで版を共通にし講紋や装丁など一部だけを変えてカスタムメイドに応じる形で採算を取ろうとしたらどうだろうか。発注する側からすれば安くあがるし、受注する側からすればややこしい内容の版をその都度作り直さずに済む。しかも東京各地にある富士講相手の需要が見込めるかもしれない。あくまで推測の域をでないが、この活字のお伝えはもしかするとそういった「商品」なのではないだろうか。そのように考えれば、都内の富士講で、他にもこの五葉印刷所製のお伝えを発注している講があったかもしれないし、思いがけず発見される可能性も否定できない。また、千住の丸藤講は前回で書いたように周辺にも枝講を作って勢力を広げていたから、大量にこのお伝えを印刷し周囲の講にも配布していたのかもしれない。そう考えれば或いは百以上の部数を同時に印刷していたことも考えられる。
丸藤のお伝えの表紙には「講社御縁起」という題箋が貼ってあるが、この題箋をよくみると、その下に別の題箋が貼ってある。「・・・御縁起」というのは透けて見えるが、その上部は丸藤の講紋と「講社」の字に隠れてわからない。また講紋も刷ってあり、山形は確認できるが、肝心のその下が見えない。大事な借り物なのでさすがに剥がすことはできず、その以上の判読はあきらめたが、もしかすると別の講社用の題箋が誤って貼ってあったのかもしれない。下に題箋のアップを掲げておくが、上の題箋の文字の間や講紋の少し上のところに下の題箋がうっすらと見えるのがお判りいただけるだろうか?
お伝えの題箋アップ |
このお伝えの法量は、本体が163*80*10.5ミリメートル、鞘状のカバーが164*88*11ミリメートルである。題箋は109*24.5ミリメートルである。田端のものと大きさの比較ができればよいのだが、残念ながら報告書には記載がない。
以下に列挙するのがお伝えの各ページである。本文は右から左へ読むが、画像自体は左から右へ見ていただきたい。
以上がお伝えの影印である。
もう一講設けて、お伝えの内容を考察し、この話題を終わりにしようと思う。