「城と浅間社」リスト

提供:富士信仰アーカイブズ・記事リスト群
ナビゲーションに移動 検索に移動

凡例

所在地は2017年現在。山地などの住所表示はgoogleマップによる。名称や形態は参考文献による。

  • 浅間社の祀られた(伝承含む)時代
    • Ⅰ期:小田原征伐(1590)以前
    • Ⅱ期:小田原開城以後近世初期
    • Ⅲ期:近世後期以後
    • 不明
  • 城の種類
    • 平城
    • 平山城
    • 山城
  • 浅間社の立地
    • A城内
      • A1本丸周辺・山頂
      • A2三の丸・外郭
      • A3出丸・大構など
    • B城外
      • B1物見砦・烽火台
      • B2尾根伝い

参考文献

  • 『日本城郭全集』(人物往来社、1967-1968)
  • 『日本城郭大系』(新人物往来社、1979-1981)

以下は『都道府県別日本の中世城館調査報告書集成』(東洋書林、2000-)に復刻

  • 『東京都の中世城館』(城館一覧・城館分布図編、主要城館編、東京都教育委員会、2005-2006。戎光祥出版、2013に合冊復刻)
  • 『静岡県の中世城館跡』(静岡県文化財保存協会、1981)
  • 『栃木県の中世城館跡』(栃木県文化振興事業団、1983)
  • 『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』(長野県文化財保護協会、1983)
  • 『新潟県中世城館跡等分布調査報告書』(新潟県教育委員会、1987)
  • 『埼玉県の中世城館跡』(埼玉県教育委員会、1988)
  • 『群馬県の中世城館跡』(群馬県教育委員会、1989)
  • 『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書』 1 : 旧下総国地域、2 : 旧上総・安房国地域(千葉県教育委員会、1995-1996)

リスト

城の名前 所在地 時代 種類 位置 摘要
富士山城 栃木県足利市田中町・借宿町 不明 山城 B2 富士山は「フジヤマ」と呼ばれる。浅間山・富士山・坊主山と三つ連なった丘のピークそれぞれに郭を設け、中央のピークを本丸とする。浅間山山頂には男浅間神社があり、富士山と反対方向に延びていたピーク(結ぶ尾根は東武伊勢崎線を通すために削られた)の女浅間神社と対をなす。ペタンコ祭りとよばれる初山行事で知られる。
唐沢山城 栃木県佐野市富士町・栃本町 不明 山城 B2 唐沢山(標高242m)の山頂を本丸として尾根沿いに山麓へ至る大規模な山城。唐沢山南方へ尾根沿いに浅間山(センゲンヤマ・標高194m)があり、近代に東京の富士講によって山頂の拝殿などが改築された。
大平山城 栃木県栃木市平井町 山城 A1 浅間社のある山頂(標高341m)を本丸として太平山神社へ向かって郭が設けられている。周囲の眺望のよさを利用したものか。
松井田城 群馬県安中市松井田町高梨子 山城 A3 永禄5年(1562)には既に造られていたと考えられる。城東端に「浅間出丸」なる小塁がある。
浅間山砦 群馬県桐生市菱町 不明 B1 浅間山(センゲンヤマ)と呼ばれる標高172mの丘。桐生城の物見砦という。
高崎城 群馬県高崎市高松町 平城 A2 中世には和田城と呼ばれた廃城を慶長2年(1597)、井伊直政によって新たに縄張りしたもの。現在は高崎城址公園。三の丸に「富士浅間」と称される塚があり浅間社が祀られていたが、明治に陸軍兵舎を造る際に壊された。現在はそれを勧請したという石祠が高崎市山田町にある。和田城は西を流れる鳥川沿いにあったもので、城と関係なく造られていた中世の富士塚が高崎城縄張りの際に取り込まれたもの。
富士浅間の砦 群馬県利根郡みなかみ町上津 不明 B1 急峻な里山で、名胡桃城の烽火台または物見砦と見られる。一帯の小字を富士山(フジヤマ)という。
青山城 埼玉県小川町青山 不明 山城 B2 または割谷城とも。松山城(埼玉県比企郡吉見町)の支城。仙元山南西のピークに造られた。麓から大永三年の富士山詣の板碑が出土。
岩槻城 埼玉県さいたま市岩槻区太田 平城 A2 15世紀に築城され、現在は岩槻城址公園として残る。岩付太田氏の居城だった時代に、城南東の土塁上に浅間社があり(岩槻区府内)、太田氏によって勧請されたという社伝がある。
勝呂館 埼玉県坂戸市石井 不明 A2 永禄の頃に後北条氏の家臣だった勝呂豊前守の居館だったといい、宗福寺という寺院がその跡地に比定される。字堀之内の北西にある土塁の上に浅間神社が祀られており(1967年刊行の『日本城郭全集』の記述)、この小祠が屋敷の鎮守であろうという。
高野城 埼玉県杉戸町下高野 不明 埼玉県歴史資料館編『埼玉の中世城館跡』(埼玉県教育委員会、1988)では南北朝時代のものとされ「高野の浅間が城」とある。遺構などは残っていない。現地に「浅間下」「浅間前」など小字があるも浅間社は下高野の木々子神社へ合祀されたか。
深谷城 埼玉県深谷市本住町 平城 応永23年(1416)以来、深谷上杉氏の居城。現在は深谷城址公園。敷地に城の鎮守だった富士浅間神社(明治以前は智形社)が隣接する。また約3km南西にある菩提寺・昌福寺が別当を務める浅間社(社がある丘を富士山または浅間山と呼び、現在は仙元山公園)には、天正8年(1580)に上杉氏憲によって寄進された寺領の寄進状と鰐口がある。昌福寺の寺伝では浅間社も上杉房憲が深谷城に移った時に勧請したものという。
三ツ木城 埼玉県桶川市川田谷 不明 平城 A3 城主や築城年代に諸説あって一定しない。現在は城山公園として残る。三角形の土塁がめぐらされており、その西南隅が高くなって物見櫓跡だろうとされる。そこに浅間社が祀られているという(1967年刊行の『日本城郭全集』の記述)。
佐倉城 千葉県佐倉市城内町 平城 A2 天文年間に築城が開始されたが放置され、慶長15年(1610)に土井利勝によって再開された。三の丸に鎮守として浅間社が祀られていたが、明治に同市鏑木町の浅間神社に合祀された。
館山城 千葉県館山市館山 不明 山城 A1 天正8年(1580)に里見氏によって築城されるも慶長19年(1614)に廃城、現在は城山公園となっている。本丸広場に現代になって再建された浅間神社社殿が近世の富士講によって奉納された石碑と共にある。
根本城 千葉県松戸市根本 平山城 千葉氏の支族・高城播磨守による城とされる。金山神社の境内地がその一部とされ、神社全体が丘となっている。清水講という地元の富士講が明治末期に神社の最上部に「冨士嶽浅間大神」碑(1908)などを設けて富士山になぞらえた。
御岳城 東京都青梅市御岳山 不明 山城 B2 御岳山頂にある神社や集落を中心として城郭遺構が残る。北方に「富士峰」なるピークがあり、現在は産安社が祀られているが、山上集落を結ぶ稜線上に大きい堀切があって防御対象から外されている。
浅間嶺烽火台 東京都西多摩郡檜原村人里 B1 『東京都の中世城館』によれば「標高903mの浅間嶺山頂の小削平地が烽火台とされているが、史料・伝承を欠き来歴不詳」という。檜原村の郷土史家によるホームページ「地名が教える古い檜原村の歴史の足音」(http://hinohara.himawa-ri.net/page4.html 2017年8月16日閲覧)によれば、西暦1204年頃(元久元年?)檜原城の城主である平山左馬ノ守末重が祀った大日如来(像?)や「浅間様」という「為定王子」なるものを葬った祠(?)があった(が、近世に持ち去られた)という。
富士塚城 神奈川県横浜市 不明 平安時代末期から鎌倉時代初期の武士・飯田五郎家義の居館とされる。明治まで富士塚と称される塚があり、開墾したところ五輪塔や納骨瓶が出土したという。現在は住宅地で遺構は残っていない。
小机城 神奈川県横浜市港北区小机町 山城 A3 上杉氏の城として15世紀に築城され、後北条氏の城として徳川入府まで使用された。新城山と呼ばれる出丸に近世の富士講による石碑が建つ。
浅間山砦 神奈川県横浜市緑区三保町 B1 榎下城(久保城とも)という平城の500mほど南東にあったとされる砦。榎下城は現在、旧城寺という寺院の周囲とされる。『日本城郭大系』によると、榎下城南東にある天神山と浅間山という丘に砦が築かれていたという。この「浅間山」は『新編武蔵風土記稿』に都筑郡久保村の富士塚として記載しているものを指すと見られ、その通りならば中世の様式による富士塚と見られる。
富士山陣場 神奈川県小田原市板橋 不明 山城 A1 元は後北条氏によって丘陵に築城された小田原城の支城。小田原城攻略の際に細川忠興によって奪取され、小田原城への足かがりとなるべく改変された。当時は「松山」と呼ばれていたらしく、フジヤマなる名前や山頂直下に建つ浅間社は後世のものとされる(『日本城郭大系』による)。
小沢城 神奈川県川崎市多摩区菅仙谷 不明 山城 A1 浅間山(センゲンヤマ)と呼ばれる丘と尾根続きの天神山(小沢峰)を城郭としたもの。現在は川崎市によって「小沢城址緑地保全地区」と指定されている。浅間山山頂(石祠が祀られ、また麓にも富士講の石碑が建つ)を物見台として、中腹斜面を削平して郭とする。享禄3年(1530)に北条氏康と上杉朝興が戦った小沢原の戦いは麓で行われたという。
河村城 神奈川県足柄上郡山北町山北 不明 山城 B2 足柄平野の西北端にある山城。14世紀には既に築城され、後北条氏の滅亡とともに廃城になったとされる。現在は河村城址歴史公園として神奈川県指定史跡。城自体は標高225mで、その東隣に同247mの浅間山がある。二つの峰は尾根続きだが、城東端にある幅15mの堀切で区切られているという。浅間山山頂には浅間社がある。
坂戸城 新潟県南魚沼市坂戸 山城 A1 関東から越後地方へ出る要衝に造られた山城で、坂戸山(633m)の山頂を中心に尾根伝い2kmにわたって防御施設が設けられている。その山頂(実城=ムジョウと呼ばれる本丸)に富士権現堂があり、その麓で産まれた直江兼続の勧請によるという伝承がある。また上杉氏転封の後に越後を統治した堀直政から神領として10石の寄進を受けたという。
粟沢城 長野県茅野市玉川・豊平 『史蹟名勝天然紀念物調査報告』19(長野県、1938)によれば、諏訪氏の居館とも粟沢氏の居館ともいい、有事には1.6km東方の小泉山(標高1069m、ただし麓との標高差は200m程度)に拠っただろうとし、その小泉山にも不完全ながら城郭遺構が見られるとする。小泉山の山頂には浅間社の元和の銘を持つ石祠が祀られており、その銘にある「澤氏」は粟沢氏の末裔だろうという。
福平城 長野県長野市戸隠栃原 山城 城のすぐ北に中世後半に築かれた富士塚があった。戸隠村(当時)の発掘によれば、「黒土を意識的に盛上げて築造されていること、周囲に円礫を敷き詰めた、葺石の遺構が確認され」たという(長野市立博物館分館戸隠地質化石博物館からのメールでの回答による)。
浅間社城 長野県伊那市手良沢岡 不明 B1 『日本城郭大系』第8巻(新人物往来社、1980)p.299には「『上伊那誌』にいうが、詳細不明」とある。現地を訪ねた個人のブログ「長野県の歴史を探し求めて」中の「1月12日の訪城結果」(http://osirozuki.blog.fc2.com/category13-1.html 2017年7月26日閲覧)によれば、「遺構はこの烽火台しかない」という。
富士塔砦 長野県長野市山田中 不明 B1 富士塔山(標高998m)の山上にあって烽火台または物見砦として使われたという。山頂に浅間大明神が祀られ、現地にある国見区と小田切観光協会の案内板によれば、六月一日に山開きを兼ねた例祭を行うという。
駿府館 静岡県静岡市葵区追手町 今川氏の居館。現在の駿府城公園の西側、静岡市立静岡病院の周辺にあったとされる。近傍から浅間通りとされる静岡浅間神社参道が賎機山麓にある神社まで延びている。
善徳寺城 静岡県富士市今泉 平城 今川範政によって造られたが、武田氏の進攻によって焼失。本丸にあたる場所に日吉浅間神社があり、近世以前は隣接する現在の吉原公園にあったという。
大宮城 静岡県富士宮市元城町 平城 国人領主にして大宮(現・富士山本宮浅間大社)大宮司家の富士氏によって造られたが、徳川氏の進攻によって廃城したとされる。大宮に隣接し、現在も「元城町」と地名が残り、発掘調査では舶載陶磁器や木材が出土し、堀が検出されたという。
荒子城 愛知県名古屋市中川区荒子 平城 前田利昌によって天文年間に築城され、子の利家が永禄12年(1569)に城内の鎮守として富士権現を勧請したという。