港区立港郷土資料館所蔵のお伝え(二)
▼港区立港郷土資料館所蔵のお伝えの概略
前回に続いて、港区立港郷土資料館所蔵の「お伝え」についてである。
そもそも、このお伝えを私が知ったのは2001年末のある日、都立中央図書館にて何気なくめくった東京都港区教育委員会編『港区立港郷土資料館所蔵文書目録』(東京都港区教育委員会、1996)からであった。p.95によれば、登録番号10・分類番号12-1、表題は「[富士講の教典](コピー)」とある。私はさっそくコンタクトをとり現物を拝見した上で、翻刻・解析し公表することとそのために調査させていただきたい旨申請した。結果、申請した内容以外の目的に使用しないこと、所蔵者を明記すること、港郷土資料館に成果を提出することの三点を条件として許可が下りた。
ただし、この史料は原蔵者が判明しない上、表題にもあるようにコピーを折本として製本したものである。つまりオリジナルがどこかに存している可能性もあるので、コピーのコピーを借用するという形で読ませていただくことになった。期限については、相手の意見も聞かなければならない為、借用書にはあらかじめ空欄にしていった。2002年1月を目処にするつもりであったが、結局空欄のまま渡してきてしまった。しかし、判読に手間取ったため、期限が特に定められなかったことに助けられることになってしまった。申し訳なく思う。
応対してくださった平田秀勝氏(文化財保護調査員)や『文書目録』の言によれば、このお伝えはもともと港区立みなと図書館特別資料室にあったもので、それ以前の原蔵者については全くわからないという。昭和57年(1982)に港郷土資料館が新設されて、資料室にあったこのお伝えを含む諸文書が資料館に移管された。文書類の詳細は『文書目録』に譲るが、記録・典籍・刊本などが主体であり、宗教に分類された13点のうちでも富士講のものはこれ一つしかない。他の宗教関係のものは阿吽阿教と円応教という教団のものが主である。これら二つは、現存する新宗教(阿吽阿教は現・阿吽阿教団)ではあるが、これらの文書の原蔵者がお伝えの原蔵者と同一かどうかはわからない。
お伝えの体裁は、電子コピーしたものを折本に製本したものである。紺のクロスで張られたサック函に入れられており、本体の表紙も紺のクロスで装丁されている。私の想像であるが、材料などから港区立みなと図書館特別資料室にあったころに為された装丁ではないかと思う。題箋がないこともその想像を補強する。ただし、函と本体表紙のクロスは同じ紺色でも織り目が異なる別種類のもので、同一の機会に調製されたものではないのかもしれない。法量は函が21.4*9.5*2.6(単位cm)、本体が20.7*9*2.2(同)、本文は片面のみに記録され105ページである。ただし、本体はあくまでコピー用紙を製本したものとしての大きさであり、複写されている様子から本文料紙は高さ18.4cmで1ページにつき幅8.4cm程度に折られていたものと見える。
このお伝えには、奥付に山玉講の大先達・喜八の署名と文政元年(1818)七月の記年がある(見出し写真参照)。この人や山玉講について知られるところは少ない。天保13年(1842)と少し時代は下るが、江戸鉄砲州(東京都中央区)で月三講の先達をしていた長島泰行(庄治郎)の手になる、いわゆる百八講紋曼荼羅によれば山玉講は「本所猿江元/深川今川町 清六 清山正行」とある(『田端冨士三峰講調査報告書』-文化財研究紀要別冊第九集、北区教育委員会社会教育課、1995-、p.35f.参照)。これにより現在の東京都墨田区から江東区にかけての地域に存した講であることがわかる。百八講紋曼荼羅における清六が清山正行であったように、喜八にも行名があったと思うが今のところわからない。
上にこのお伝えの原蔵者は不明であると書いた。が、岩科小一郎氏の『富士講の歴史』によれば、岩科氏所蔵のお伝えにこれと全く同じ奥付を持つ折本がある。
江戸期のお伝えとして、左の資料を入手した。
(中略)
(6)文政元(一八一八) 太先達喜八 身禄派 (以下略)
岩科小一郎『富士講の歴史』(名著出版、1983)、p.296。「太」字は原文のママ
このお伝えは今も岩科氏の遺品として現存しているはずだが、このお伝えと同一のものか否かを確認していない。また、岩科氏はこのお伝えをどこから入手したのか明らかにしていない。もし同一のものだとすれば、如何なる経緯があってオリジナルが岩科氏の所蔵となり、港区教育委員会にコピーが渡ったものなのだろうか。
お伝え本体(左)と函(右) |
保存用封筒 | 本体と函 | お伝え本文 |
▼翻刻
お伝えの本文翻刻を提示する。ただし、外字やレイアウトの関係でHTML文書として出力するのは無理なので、MSワードで作成したものをPDFファイルに出力した形で提供したい。
PDFファイルを開くにはAdobe社のAcrobatReaderなどのソフトが必要であるが、各自適宜入手されたい。ファイルが重くなることを避けて解像度をやや落としているが読解に支障は無いと思う(262KB、200dpi)。
翻字規則について述べる。
- 一ページの先頭に「[p.1]」の形でページ数を示した。内容の先頭が来るページは改行したが、文中の改ページはそのままにした。改行は本文の内容に応じて、一行開けで区切ったり単に改行しただけに留めたりしている。
- 原則として万葉仮名は平仮名とした。ただし、片仮名のままに残した部分もある。また、「之」字のように漢字として用いられている場合と「し」「の」字の万葉仮名として用いられている場合が混用されている時は、くずしの度合いとその場の文脈に応じて使い分けた(くずしていない場合は漢字として用いられている)。
- ルビは原文にあるままに振った。ルビの配置も原位置を考慮している。
- 正字・異体字の違いは原文の表記を尊重し無理に統一させなかった。また、例えば「神祗」として、あえて原文にある通りの正しくない表記を用いた箇所がある(この場合正しくは神「祇」)。
- 語の区切りとなる字間の空白は原文の状態を尊重した。そのため文脈として不自然な単語の区切りを持つ箇所が数多くある。
- 角行系文字はこのWebpageのルールを用いず、原文にある表記から外字として作成した。また、合字やMSワードで扱えない文字も外字として作成した。作成した外字のベースは本文に合わせてMS明朝である。フォントに対して、このようなWebによる利用は個人的利用の範疇を超えているものと思われる。従ってMS明朝の著作権を持つマイクロソフト社に対して権利侵害している可能性があるが、現時点ではこのような方法しかとることができないので、そのまま作成した外字を使うことにする。
- 不本意ながら一文字だけどうしても解読できなかった文字があった。それは■で示した。
- p.66のお身抜はスキャナで取り込んだ後、画像ファイルとしてMSワードにて作成する段階で埋め込んだ。
以後、文中の解説はこのファイルをご覧になりながら(プリントアウトしても可)読んでいただきたい。以下に示すのは主に外字に対する注である。
- p.4
Бを外字として作字。字の要素は「天+元」+南。ただし、p.66のお身抜では南の上部が「十」ではなく「士」となっている。
Гをイ+「酉+大」として作字。 - p.13
月行ИЛを、Иは曽+斗として作字、Лは什の字を用いる。
身禄の「禄」字を「録」の正字として作字。
Ёをイ+杓として作字。 - p.18
Жを晋+「目+大」として作字。
「より」の合字を作字。 - p.23
「丑」字の異体を作字。
- p.30
Дを彳+南として作字。ただし、「南」字の上部は「十」ではなくて「士」。 - p.31
不明字として■にした。下・左端のような字形をもつ。お解りの方がおられたら教えていただきたい。『史蹟人穴』所収のお伝えや文脈などからここは「葉」(不二八葉)と読まれるべきである。 - p.34・p.35
「水」の異体?日+「日+水」として作字。 - p.36
Цは二種類あるが、日Цは王+目、Ц心は日+王。後者は「旺」で代用しなかった。 - p.41
誓の異体?「折+至」で作字。 - p.86
「こと」の合字を作字。 - p.96
「第」の異体字を作字。「第」は食行の著作以来、「弟」のくずしと混用されつつ意味付けされるので別に作った。
p.31の不明字 | p.13のИЛ | p.41の「誓」? | p.34・35「水」の異体 |
以上、翻刻を示した。内容を検討する解題は次講にして、この話題を締めくくりたい。