第二十五講 『富士之奇績』にある富士講の和歌
▼『富士之奇績 : 一名身禄信仰之道歌並富士之名歌』
竹葉山人『富士之奇績 : 一名身禄信仰之道歌並富士之名歌』(大森見勢松、1923)は富士信仰に関する和歌を集めた小冊子である。巻末に早川文太郎『富士案内記』、登山研究会編『富士と箱根』(いずれも不詳)に収録されている古来よりの富士山に関する和歌を転載している以外は、食行身禄と「大歌聖」と本書が呼ぶ明治天皇による和歌で占められている。本書にある220首の中から、食行の作としながらも食行真作でない和歌をリストにしたものが以下である。
これらの食行を騙った和歌にどのような価値があるか?それは、これらの和歌が富士講、特に彼らの勤行聖典である「お伝え」において唱えられてきた和歌であり、そのような和歌にどのようなものがあるかを知り得るという一点にある。おそらく編者の竹葉山人は富士講で用いられていたお伝えや和歌を集成した折本の類を元にして本書を作ったのではないかと想像できる。そして、彼はそのような折本類にある和歌が全て食行作であると判断して、そのように記しているだけに過ぎないのである。
これら、食行に比された和歌群は内外八海や小御岳や富士森稲荷などの富士山の名所を詠みこんだもの、「扶桑国蚕祭御歌」と呼ばれることのある蚕の成育と富士信仰を結びつけた一連の和歌などで構成される。いくつかの「お伝え」の翻刻を手がけてきた私でもはじめて見るようなものがあり、あるいはそれらが記された「お伝え」の類もあるのかもしれない。そういった富士講で唱えられてきた民間信仰的色合いの濃い和歌群を一同にここで見ることが可能である。
ただし、定本というものがなく書写によって流通してきた「お伝え」の性格上、どの写本の和歌も訛伝やその写本にユニークな表記で記されることを免れ得ない。この『富士之奇績』もその例に漏れずここでの表記は本書独特のものであり、言い回しも特有のものがある。例えば、リストの20番を例に上から『富士之奇績』・丸藤宮元講社(東京新宿区)のお伝え・第十七講で紹介した山玉講(東京都江東区?)のお伝えを並べてみると、以下のようになる。
- 程したい しヽたけふなに 桑くふて にわのあかりに まゆくくるなり
- 程次第 肥長鮒に 桑食て 庭のあがりに まゆ造るなり
- ほどしたい しくたかふなに 桑くふて にハのあかりに まゆつくるなり
「鮒」「桑」などは一致するものの、細かい言い回しが全て微妙に違う。そして、これらの和歌の原形を推測する事も難しい。だから、ここに挙げた『富士之奇績』の和歌もその言い回しなどを全て信用することはできないが、しかしこれだけ和歌のみを網羅したものも珍しいので掲出する次第である。
なお、編者の竹葉山人がどのような人物であるのか、現時点ではまったく不明である。ただし、奥付に「山梨縣南都留郡瑞穂村下吉田」とあるので、その住人であることだけは知れる。また「登山の諸兄の参考に供へ」と冒頭(p.1)で述べていることから、本書は縦18cmという小さい体裁と合わせて、立場を問わず富士の登山者向けに販売されるためのものであることが想像できる。つまり竹葉山人もどこか特定の宗教的立場に属する人ではなかったのではないかと想像する事も可能である。
▼凡例
- 参照した『富士之奇績』は国立国会図書館所蔵本(NBN:42011378)である。
- 『富士之奇績』の表記されている通りに和歌を掲出し、第一句から第五句まで分割した。
- 本文の和歌ごとに記されている番号を付した。飛び飛びになっているのは途中で明治天皇の和歌が混在しているためである。また、20~34までは『お決定の巻』にある和歌の中に組み込まれており一群として孤立している。
- 巻末の正誤表に応じて本文の正誤を正した。
- 本文にどこの八海を詠んだものか明記している場合はそれを備考欄に付した。
- 二字以上の畳字は「ヽヽ」で代用した。
- 食行真作の和歌については、第十九講を参照されたい。
▼『富士之奇績』所収富士講和歌(食行真作以外)一覧
番号 | 第一句 | 第二句 | 第三句 | 第四句 | 第五句 | 備考 |
20 | 程したい | しヽたけふなに | 桑くふて | にわのあかりに | まゆくくるなり | |
21 | 不二の山 | みつの心を | たまにして | いとひきのへて | 駒の手つなに | |
22 | 此の手つな | 金体こまの | 口につけ | 御鏡のせて | 都卒天まて | |
23 | 御鏡の | おしへの如く | 此三つつ | 末の世まても | 祈る嬉しさ | |
24 | 恵ほし岩 | みろくの丈と | あらはれて | 三万目出度 | 戸をさヽぬ御代 | |
26 | 月も日も | 不二は神仏 | 一体に | みな三国を | 照らすみかヾみ | |
28 | 今朝までの | 罪を免して | あすよりも | 心のかヾみ | 日々にふきぬけ | |
32 | 三国の | 恵ほし岩より | 湧くいつみ | くめとつきせぬ | 不二のきたくち | |
34 | あきらかに | みねとふもとに | たて置て | みすかたうつす | 御鏡を見よ | |
92 | 人山の | 水はあたへの | 不老水 | よはへの水と | ふへ減りもなし | |
93 | 山中に | わきて諸作の | 薬り水 | 只この水て | たのみ助すかれ | |
94 | あきらかに | 鏡のもとを | あした見よ | 曇りを払う | 富士のあさ風 | |
95 | 水口と | 田毎にくはる | 苗水は | 元はほさつの | 母の白瀧 | |
96 | 西の湖 | 青木か原の | 浪まより | あらはれ出て | 米の元たね | |
97 | 生司とは | 人と名をよひ | 人となる | 富士は世界の | 親山さまなり | |
98 | 本巣とは | いの字を出て | 人となり | たかまか原に | 住よしの神 | |
99 | 志比連とは | 首尾のあとさき | 人はつれ | 只よき人と | 交はれとしれ | |
100 | 身の丈も | 心の岳の | 竹生島 | 丈にくらへて | よは不二の岳 | |
102 | 白日の | みかけのうつる | 此水て | 心のあかを | すヽきながして | 箱根湖 |
103 | 二柱ら | すくなる心ろ | 清けれは | 心の末の | 末の世まても | 伊勢二見二本松 |
104 | 御代となり | きせん男女の | 祝ひし | 通り戻りの | 道の守護なり | 諏訪湖 |
105 | 豊なる | 御代に生れし | しるしには | 我身のはしを | 人に知らすな | 中禅寺湖 |
106 | 火やふらむ | 屋只村ての | 守護なれば | 皆火の本は | はれか領ふん | 椿名山 |
107 | 幾千代と | かけて我待つ | 恵にて | 三万目出度の | 守護神となれ | 遠江桜の池 |
108 | 人とはは | 我は真と | ことふれと | 心かとはは | 何とこたへむ | 常陸鹿嶋 |
109 | ありかたや | 諸仏の道に | 二つなし | 只一すしに | 身の鏡みよ | |
110 | 砂山と | 木山にはらむ | 小御岳は | 外山にくらへ | また上もなし | |
111 | 小御岳も | 世上の丈に | くらふれは | そのたけヽヽの | 慈悲の正鏡 | |
112 | 御山に | ふる小御岳の | 白雪は | みのりの守護の | 火除なりける | |
114 | 亀岩の | 水は国土の | 火ふせなり | 雲井に高き | 不二の白雪 | |
115 | いつくまても | 火ふせ風雨の | 守護なれは | かけつけ給へ | けさのきヽ神 | |
116 | 其かみの | 亀の岩戸を | あけそめて | 今朝仰きみる | 不二の白雪 | |
117 | 卯とあけて | 民のかまとの | 茶のけむり | 茶の木の稲荷 | 今日のうち森 | |
118 | 稲苗を | 民にあたへて | 杉の森 | 稲荷を守護の | 富士森にすめ | |
119 | 行く年の | 願も成就 | ふしの山 | 参る次第は | ありあけの月 | |
120 | 不二の山 | 五しきの雲の | 迎いにて | 身は打のりて | 今まいりける | |
121 | なほ照るや | 霊のありかは | 恵ほし岩 | こふりをまくら | 雪をしきねに | |
122 | 曇りなく | 月日をはれと | うつりゆく | 心の花の | いろにまかせて | |
123 | 甲子を | 待つに程なく | 十八つの | 月日とともに | うつす御田植 | |
125 | 天地の | 照る日のもとは | あし原や | 三国一の | 光りなるらむ | |
126 | 御水の | 御恩と日日に | はすれなく | 命をつなく | もとのみな上 | |
127 | 生れ来る | 人の命は | あしはらや | 金剛力の | 米の一粒ふ | |
128 | 我が祈る | 神のりやくの | なき人は | おのか心に | まことなきゆゑ |